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[生活・創作論]リアルと自由をフリーダム走行

今のガンプラはすごい
先日、たまたま通りがかかったクリエーターさんの作品を見て、シンプルに感じた

小学生の頃、一時期ガンプラにハマった事がある
ファースト(第一期)をアニメで見て、そこから好きになり
親にせがんで買ってもらったのを覚えている
自分の好きなモビルスーツ(個体の総称)を作り、
戦っている所を想像し、部屋に飾って遊んでいた
あくまで玩具の一つだ
宿題をサボったり悪い事をすると、親は私のお気に入りのプラモデルを持ち出し
目の前でへし折るという
今思うと残酷な罰を私にして見せた(今では良い思い出です笑)

だが、この前見たガンプラは完全に玩具ではなく、完全な“作品“だった
実際のアニメシーンを緻密に再現していたり
自分のこだわりを最大限にしたオリジナルのプラモデルが展示されていた

機体には、敵のビームを受けたであろう焼け焦げた傷
半分になった盾は折れているのではなく、熱で溶かされている

一番心に残った作品は
森に打ち捨てられ、ところどころ草や苔に覆われているザク(敵機)だ
戦いに敗れ、無惨に散っていったものなのか
それとも、戦いが終結した世界線で放置され、過去の遺跡として残った物なのか
また、頭が一人歩きする

一人歩きから戻り、ふと思う
同じプラモデルなのに、なにが「玩具」と「作品」違いを産んでいるのか

端的に考えると用途の違いだろう
当時の私は遊ぶ事を目的にプラモデルを作っていた
自分がそのプラモデルのコントローラーになり
その世界のいわば神として、お気にいるモビルスーツが活躍する様子を
空想して楽しむ事が目的だった

一方、展示されていたプラモデルは
表現のために作られた
実際のシーンの感動、躍動感を3Dのジオラマで再現
自分ならどういうモビルスーツを作るかというニ次創作者としての答え
自分が生み出す、数多のパラレルワールドの具現化
どれにしても、自分の愛情を注ぎ細部まで作り込んで表現する事が目的のようだ

実生活でも同じような事と感じたタイミングがあったので
仕事で2〜3才の子供と一緒に遊んだ時のこと
その子(の親)が持ってきた、ミニカーを使って一緒に遊んでいた
が、車の使い方が彼と私とで全然違った(当たり前です)

私は免許は持ってないが、それなりの交通規則や物理法則を知っている
だから、実際の車が動くように動かし、お行儀よく信号だって待つ
でも、子供は自由だ!
車体は平気で真横にスライド移動し、その場で華麗な180度のターンを決め
私の車に直進猛スピードで体当たりし弾き飛ばす
完全にフリーダム走行だ

昔は自分はきっとのこの子ように、奇想天外な遊びをガンプラでしてたのだろう
でも今では、ルールを守ってミニカーを運転し
子供の発想力に「なんじゃそりゃ!」と驚いている

誰しも子供から大人になるにつれて変わっていく
これまでの人生で得た 常識・ルールから制限を作って秩序の中で生きている

一見、縛りの中で息苦しそうに見えるが果たしてそうなのか

今の自分がミニカーで空を走らせたら、楽しく遊べるか?
「何やってるんだろう」と現実に帰ってくる。絶対に
もし、他の人に見られていたらしばらく落ち込む
(子供とのコミュニケーションなら楽しいけどね)

大人が遊ぶのなら、きっと、その車の動きをイメージ、シュミレーションして
細部までリアリティを追求するだろう
ガンプラの作品ように(戻ってきた)

これはきっと、世界の見方•“解像度“が楽しむ事の目線が変わるからだ
常識やルールがアクセントとなり、日常の延長線として受け入れる
逆にいうと、何かを楽しむためには、
その事の解像度を上げる必要があるのかもしれない

ちょっと、ガンプラもミニカーも実際に遊んでいる姿を想像できないが
(じゃあ、例えに出すなよ。でも、身近な経験だったんだもん)

絵で考えるとわかりやすいかも知れない
子供の頃は、書いて遊ぶことが目的だ。描く物はどんな形でも何色でもいい
描く事自体が楽しいのだから

でも、大人になって絵を楽んで描いている人は
きっと、光と影や遠近法など(物理的な)基礎、構図や配色など沢山の知識を学び
それを駆使して作品を描き上げる

鑑賞する側にしても
特に美術の知識がなくても、リアルを追求した作品を見たら「スゲェ…」と息を呑む
さらに、少し勉強し知識を持って美術館に行くと、
グチャグチャの落書きのように見えていた作品
たとえばピカソような子供でも書けそうと思っていた絵画にも感動を覚えるはず
(キュビスムを知っているとピカソも全然違って見えるらしい)

どちらも常識・ルールを道具にして、解像度を上げることで楽しみを手に入れているのだ

常識やルールは縛りに見えてしまうが、それだけではない
見方が変われば、それを自分の道具にだってできる

クリエーターやアーティスト、創作者と呼ばれる人は
ひたすらに解像度をあげ、常識・ルールを武器に
リアルと自由の間をフリーダム走行している人のことを言うのかも知れない

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