FF14初心者が夢から醒めて引退するまでの話
最近FF14に対して不満を述べる記事が多いですね。
というわけで流れに便乗して自分も半年ほど胸の内にしまっていた事を文章にしてみたいと思います。
他の多くの記事と違い、自分の場合はちょうど今年の頭ぐらいまでの事を書いているため
最新パッチに対する文章ではないこと、また1年〜半年前ほど前のことを思い出しながら書いているのでうろ覚えのまま書いてしまっている部分もチラホラあることをご了承ください。
要するにただのお気持ち長文ってやつです。
自分とFF14
ちょうど1年ほど前の2023年6月ごろにFF14を始めました。
知人が何年もプレイしていると聞いて興味を持ったのがきっかけです。
プレイスタイルとしては主にストーリーを追いかけるのを中心に、自キャラをミラプリで着飾ったりFCのメンバーとチャットをしたり
時々FC内でゆるーく極や零式に挑戦するような感じでした。いわゆるライトプレイヤーでした。
最初はゆっくりとストーリーを楽しんでいましたが、新生の後半〜蒼天の展開で一気にドハマりし
毎日空き時間の殆どをFF14に費やしていました。
その後、暁月のストーリーに違和感を覚えたため距離を置き、ここ数ヶ月の出来事で今後もうプレイすることはないだろうと判断しました。
開発への信頼
始めて数週間ぐらいの頃時々サブクエストにも手を出す自分はまだ新生の中盤ぐらいでした。
ちょうど知人と通話をしながらプレイしていたのですが自分がポロッと
「課金装備って試着するところがないからちょっと手を出しにくいよねー」
と言ったところ、知人から「宿屋のベッドを調べると試着できるよ!」と教えてもらいました。
なるほどこんな所にあったのか!でもどうしてこんな仕様なんだろう?と思っていると
知人いわく「世界観を壊したくないっていう吉田(敬称略)のアイデアで夢の中で試着してるんだって」とのこと。
確かにゲーム内に事実上日本円と等価の通貨でやり取りをするショップがあったりすると結構萎えます。
そのため現実の通貨を取り扱う部分をゲームと切り離し、あくまで『夢の中で試着する』『贈り物として送られてくる』というのは非常にいいアイデアに思いました。
また、そういった粋な計らいをしてくれる吉田氏は本当にこの世界を大事にしているんだと感じました。そのときは。
最初に感じた違和感。あっちにもこっちにも??
新生祭を初めて体験した時のことです。
スタッフの苦労話なんかが読めて、内容も直接的に書かれているのではなく
ちょっと世界観をなじませるために例えばログイン周りの話が門番の衛兵みたいなかかれ方をしていて面白かったです。
「沢山の人が苦労してこの世界を作っているんだなぁ」なんてしみじみしていました。
とても驚いたのがイベントに吉田氏がキャラクターとして登場して自キャラに語りかけるシーンがあったことです。
自分は先述の通り世界観を大事にするためにそういった現実との繋がりには気を使っていると思っていたためかなりストレートな演出に驚きました。
しかしちょうど10周年。こういう演出もこれはこれで特別だしアリなのかなと思いました。そのときは。
それから少ししてまた知人と話しながらプレイしていた時ちょうどその話になりました。
すると知人は「あぁ、それ毎年出てくるんだよ」と言い自分は驚きました。
そして畳み掛けるように「異邦の詩人って人会った?あれも吉田(敬称略)がモチーフのキャラらしいよ」とのこと。
とても混乱しました。だって世界観を壊さないように課金アイテムの試着のしかたにもこだわるような人がゲーム内に自分を何人も登場させるなんて考えられません。
それも10周年という節目の演出ならまだしも、毎年+コンテンツ開放の常設キャラとしての2パターンもです。
これが初めてこのゲームに対して感じた違和感でした。
ただその時は確か蒼天か紅蓮の頭ぐらいのストーリーに夢中でそんな違和感もすぐに忘れてしまいました。
10周年…ですよね?
自分は10周年というタイミングでFF14を始めたため、密かに
「10周年限定のアイテムとか服装とか、他にもイベントがたくさん来るんだろうなぁ」
と楽しみにしていました。
が、待てども待てどもそれらしい特別感のあるものは告知すらされません。
話題にもなった花火大会やら伊勢丹コラボなんかはありましたがゲーム内ではまさに無風。あまりにも何もなさすぎて
「あれ?10周年って来年なんだっけ?」
と思ってしまうほどでした。
ただ自分がそう思ったのはちょうど紅蓮の終盤か漆黒の序盤ぐらい。
激動のストーリーに夢中で「まぁいっか」と忘れてストーリーにのめり込んでいました。
まさかのノーガード
漆黒に入ったあたりからFCの人たちと一緒にコンテンツをまわったり、ミラプリなんかにも幅が出てきて装備を見せ合ったり
綺麗なスクショを撮ろうといろいろ試したりするようになってきました。
すると時々明らかにクオリティの違うスクショを投稿している人がTwitterにチラホラいます。
これは何をどうしたらこうなるんだと思い調べてみると・・どうやら外部ツールを使っているとのことです。
外部ツールについて調べてみるとこういった見た目を良くするものの他にも戦闘を優位に進めたり
本来表に出ないデータを可視化するものまで有り、それらはある程度当たり前のように使われているとのこと。
自分は例えばドラクエ11とか、ライザのアトリエみたいな完全にオフラインのゲームに関してなら
あくまで誰にも言わずこっそりとならMODや外部ツールは黙認されていても良いと思っています。誰にも迷惑かけなければ。
ただしFF14のようなゲームであればそれは別です。
本来許可されていないツールによるグラフィックや情報の開示はゲームバランスを壊し不平等をユーザーに強いてしまいます。
こういったことは許してはいけません。
そして運営というのはそれらと戦い続けるものだと思っていました。
LoLやVALORANTで有名なRiot Gamesのチート対策チームの記事は有名ですよね。
競技性を守るために本当に血の滲むような努力を続けているようです。
そこまでしなくてもELDEN RINGやパルワールドなんかにもEACのようなアンチチートツールは組み込まれてますし
今の時代、ネットワークに繋ぐゲームの常識と思ってました。
FF14はまさかのノーガードのようです。
本当に大丈夫なんだろうか?と不安になりました。
夢から覚めた暁月のストーリー
何度も感動の涙を流した漆黒のストーリーが終わり、ついに暁月へ突入。
ここまでの展開からついにフィナーレへと物語が進むとなると期待しかありませんでした。
FF14を始めてから約半年。これがこのゲームを好きだった最期の瞬間だったと思います。
違和感を感じ始めたのはちょうど月に行ったところです。
「えっもう月いくの?」と驚きました。それもつかの間、「えっもうゾディアーク倒すの?」「えっもう月おわり?」
ムービーやトレーラーでそこに全ての答えがあると言わんばかりに意味深に描かれていた月は一瞬でおわり
内容もここまで散々最古にして最強の蛮神とか色々言われてきたゾディアークをただの討滅戦で倒してうさぎのお使いをするだけ。
マップもゲーム時間を引き伸ばしたいという意図を強く感じるものでしたし、これに関しては暁月のマップ全てで感じました。
今までもマップも多少はそういう雰囲気を感じていたのですが暁月はもうごまかせないレベルでマップに違和感を感じました。
そこから第二部と言わんばかりに終末の災厄が始まります。
最初の方こそある程度ストーリーに引き込まれましたが何故かだんだんとストーリーを追うのに疲れてきました。
明確に疲れを感じたのはラヴィリンソスのお使い連発してたあたりからなんですが、多分もう少し前からちょっとキツさを感じていたと思います。
これに関しては以前読んだ感想(失礼ながらURL等失念してしまいました…)に書いてあった表現がしっくり来ていて
【振り上げた拳を振り下ろさせてくれない】
からなんだと思います。
思えば漆黒までのストーリーってメリハリがあるというか、一難去ってまた一難みたいな展開がしっかりあり
その一難の中で戦うべき相手とか解決すべき課題が明確だからちょうどいいタイミングで気持ちよく拳を振り下ろさせてくれてたと思います。
暁月はというと、ずーーーっとよくわからないまま一難をぐるぐる回し続けるせいで全然気持ちよくなれないんです。
もう腕は思いっきり振り上げてるのにいつまでたっても振り下ろせず、なんなら「もっと振り上げろ!」と言われるような展開が続き
正直どんどん疲れていき、ウルティマトゥーレが開放されたときは
「えぇ・・・まだあるの・・・?早く終わろうよ・・・」
とさえ思ってしまいました。
ウルティマトゥーレでのストーリーは本当に呆れ返りました。
まず急にサンクレッドが消えたと思えば「えっ死んじゃったの!?」
宇宙空間でも息が出来るのはサンクレッドの魂の想いの力のおかげってそんな馬鹿な…
事態が飲み込めないまま進めていくとエスティニアンがメーティオンの竜巻と相打ちでどうやら死んでしまったようです。
そして想いの力で次の島へ渡る手段が出来ましたと。
画面の前でキョトンとしている自分と画面の中で深刻な表情で「辛いけど進むしかない」という暁メンバー達。
「あーなるほどね。そういうやつね。」
ここで一気に半年間見てきた夢から醒めました。
これは自分の勝手な考えなのですが、
FF14のストーリーは蒼天、紅蓮、漆黒と「なぜ手を取りあうのか」「文化や自由とはなにか」「なぜ困難に最後まで抗うのか」といった問いかけだと勝手に思っていて(新生はそれらの話をするための盤石な土台といった感じ)
暁月ではそれらの根底にある「なぜ生きるのか」というのがテーマに感じました。
現にメーティオンは「生きることは絶望なのだから死こそが救いである」という結論に達した結果終末を振り撒いているわけで
主人公たちのアクションはそれに対する反論でなければいけないわけです。
それがなんの情緒もないインスタントな仲間の死でご都合主義的に道が開けるとくればもうぶち壊しです。命が軽すぎます。
二人一緒に心中したり一人で死んだりも最終的に主人公を一人にするっていうのが見えて透けますし
そもそもこの展開自体があぁどうせ後で復活するんでしょって展開が見え見えで本当に萎えます。
『ほら!ここ!!ここはね、泣くところなんですよ!ほらまた仲間が死んじゃった!辛いでしょ〜でも進まなきゃね!
ほらほら!泣いてもいいんですよ!泣きましょう!感動の展開です!!』
というメッセージが非常〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜に強く伝わってきました。
感動の涙というのはストーリーに対する受け手の反応の一つにすぎないのに、それをあからさまに狙うストーリーはただただチープです。
最初に書いた通り自分はストーリーを追いかけるのを中心にプレイしていました。
つまりストーリーはプレイするモチベーションの柱だったんですが、その柱がガラガラと音を立てて崩れ去り
もうゲームをプレイするモチベーションは0です。
作者の思惑とは違う理由で本当に辛い中、それでもここまで来たからにはどうにかエンディングを見たいという思いで進めました。
ラスボス戦の直前、主人公の絶体絶命のピンチに駆けつけるのは…まさかのゼノス。
いやなんでゼノスなんですかね。ここまでの大舞台に来るような思い入れとかそういう演出ありましたっけ?
ミドガルズオルムあたりが来てくれたほうがよっぽど感動します。
ていうか想いの力でなんとかなるなら暁のメンバーやアーテリスに残った人々の「無事でいてほしい」という想いが力になって
なんやかんやどうにかなるっていうMOTHER2みたいな展開で良くないですか?それだったらめちゃ感動したと思います。
ただでさえ呆れ返ってた所にこの展開でもはや無心です。
更にラスボスを倒したあとのちょっといい感じに話をまとめようとしてる中
まーーーーーーた出てくるゼノス。1対1のイベントバトルだそうです。えっってことは暁月ラストバトルってこれ!?
なんか自分の結婚式に呼んでもないのに飲み屋で2,3回話して仲良くなった名前も知らないおっちゃんが勝手やってきて勝手にスピーチしてる感じです。
お前誰だよお呼びじゃないんだけど。
本当に、本当に萎えました。もうやめて!プレイヤーのモチベーションはとっくに0よ!
他にも駆け足でぶつ切りのストーリーとか記憶消去マシーンとか突っ込みたいところは大量にあるんですが
ウルティマトゥーレはもう本当に最悪でした。
休止…からの引退
ストーリーで本当に失望して、夢から醒めて、それまでに感じ忘れていた違和感が急に襲いかかってきました。
世界観を守りたいと言いながら吉田氏をゲームに何度も登場させたり
10周年なのにゲーム内は放置だったり
外部ツール対策がザルだったり
自分は半年間何に夢中になってたんでしょうか。ストーリーですね。
FCの人たちと遊んだのは楽しかったです。とてもいい人たちでした。
ですがそれはやっぱりこのゲームに対する期待が根底にあったからこそ、このゲームで誰かと遊ぶのが楽しかったんだと思います。
もし他のゲームで一緒に遊ぼうと言われたら喜んでついていきますが、このゲームは正直遠慮させてもらいたいです。
知人とはそもそもあまりゲーム内で一緒に遊ぶことは少なかったですし、それ以外の趣味でもつながってるので別に関係が崩れたりはしてません。
2024年の頭に一旦FF14から距離を置くことに決めました。
それでももし、夏頃に出る黄金のストーリーが魅力的だったら、
グラフィックアップデートでキャラがめちゃくちゃ魅力的になってみんなが楽しそうにしていたら、
そしたらその陽気に誘われてまたログインしたくなるかもしれないと思ってました。
その後はお察しのとおりです。
グラアプデの散々な有り様に加え、公式の文書とは思えない言葉遣いとか、ビルのメンテナンスを言い訳に使ったり、
まさに説明を求められているであろうタイミングの配信で不自然なまでに一言も触れなかったり、
他にもいろいろな過去の噂を沢山聞きました。
自分の感じる違和感はいつしかストーリーやゲームを超えて運営にまで及ぶようになりました。
もはやあんなに熱中していたことに後悔しています。
もしあの時間を別のことに使っていたら今どうなっていただろう。そんな思いを抱えながら
黄金のリリースとその後の阿鼻叫喚を横目に、自分はもうこのゲームは二度と起動しないと心に誓いました。
P.S.
本当ならこの文章は今年の1月とか2月に公開しようと思ってたのですが当時は頭の中で考えがうまくまとまらず結局お蔵入りしていました。
ただどうやらその当時はこういった文章を公開すると信者?のような人たちが現れて
めちゃくちゃにコメント等を荒らしていってたらしいのですが、それがここ最近の不満噴出で少なくなったらしいです。
結果としてこのタイミングまで抱えていて良かったなぁと思いました。