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「渤海王国」を旅する(11)‥牡丹江へ

「渤海王国」を旅する(11)牡丹江の標識を撮る
     日本海地域史研究室 藤井 一二
                     
作家 井上靖氏が『天平の甍』に描いた万葉の世紀、天平時代の国際交流に光彩を放ち 「幻の王国」と呼ばれた。
渤海王国と古代日本を結ぶ「北の回廊」〈唐←→渤海←→北陸道←→平城京>に焦点をあて、8―10世紀を中心とする東アジア大交流時代における渤海遺産と歴史的世界に関心を寄せてきた。
 
東北アジアに700年の歴史を刻んだ高句麗が滅び、それから30年を経た7世紀末、中国東北部から朝鮮半島北部にかけて建国した渤海「海東盛国」とも称され、滅亡に至るまでの約230年間に、日本を含む周辺国と活発な対外交渉をもった。

渤海は日本に向けて、727年(24人)・739年(40余人)、746年(渤海・鉄利人1100余人、放還)に出羽国へ、752年(75人)に佐渡、758年に越前国へ来着するなど計33回余(34回とも)、また日本から渤海へも728年の送使に始まり計13回の使節を送っている。
 
海・江・道が結ぶ北の回廊は「渤海路」「日本道」と呼ばれ、唐代の大暦年間(766-779年)に 渤海から唐都長安へと旅した「日本舞女」11人(『新唐書』渤海伝)も、この渤海路で海を渡ったとみられる。

渤海使・遣渤海使の発着・目的地である渤海の王城は、中京顕徳府(吉林省和龍市)・上京龍泉府(黒龍江省寧安市)・東京龍原府(吉林省琿春市)など、近年、遺跡・遺産の保存・整備が進み、黒龍江省において龍江博物館(黒龍江省鶴崗市)、黒龍江省博物館群力分館(ハルビン市)が完成し、同省博物館本館も新築中である。
 
ここ10数年間、北東アジア交流研究プロジェクト・東アジア多文化交流ネットワーク(HP)の活動を通じて集積した中国東北の画像資料を交えて、平城京―北陸道(高志)―渤海国―唐の長安を結ぶ回廊に連なり、人・物資・情報の移動と伝播を支えた東北アジアの「交流の世紀」に関して「画像で語る・シルクロードと大伴家持の時代」の巡回講座(軽井沢→西安→太宰府→魚津→富山)が済み、この間に公開したプレゼンテーションのPDF編集に着手している。
 
往年、牡丹江からハルビンへ高速路で移動する際に撮った「牡丹江―鶴崗」の標識は、私にとって「渤海王国を旅する」シリーズの「玄関口」ともなった。(金沢星稜大学名誉教授、元黒河学院・大連大学・遼寧師範大学客員教授

藤井一二『渤海王国と古代日本』城西国際大学、2019年3月