自己理解を深めたら、30歳で人生のスタートラインに立てた
「では、簡単に自己紹介をしてください」
これが昔から苦手でした。
今でも言われるとドキッとします。
「自分はこんな人です」と相手に伝える。目的は明確でシンプルなはず。
ですが、「自分って、どんな人?」と自問した時、パッと答えられたためしがありませんでした。
名前や年齢のように決まったデータはよいとして、自分の内面について何を話せばいいのか、皆目見当がつかなかったのです。
好きな食べ物、最近はまっていること、得意な科目、いつかやってみたいこと。
どれも、答えが判然としない。まとまりがなくて、表層的な感じがする。
断片的な情報が頭の中でごちゃごちゃに混ざってもつれて、考えるほど収集がつかなくなりました。
しかも「簡単に」なんて条件が付けられるものだから、自分の番が回ってくる頃にはもう、思考回路はショート寸前、今すぐ逃げたいよ(前の人が自己紹介している隙に)という気分でした。
「なんで自分のことなのに、上手く説明できないんだろう」と思いつつも、そのうち慣れて自然と上手くなるだろうと、放置してきました。
そして気づけば、慣れもせず上手くもならないまま、大人になっていました。
「放置したままの苦手」は他にもたくさんあるのですが、今思うと、こればかりは「放置しちゃダメな苦手」でした。
それに気づいたのは、放置したツケを十数年越しに払うことになった時でした。
今回は、ツケ払いの大失敗から得た人生最大の学びについて、書いていこうと思います。
自分に無いものに惹かれるというやつで
私は、人と会って話すことが好きです。
話を深めていく中で、価値観や人生哲学といった「人の根幹」に触れるたび、心が震えるような高揚を覚えます。
取材ライターを目指すようになって、出会いの幅がぐっと広がりました。
これまで触れることがなかった業界、職種、肩書を持った人たちから語られる、起伏に富んだエピソードや血の通った人生観に、魅了されてきました。
彼らの人生はとても自由で豊かで、聞く人の人生まで明るく照らすようなエネルギーに満ちていました。
自分の人生を謳歌している人たちの共通点は、「自分がどんな人間なのかを知っている」ということだと思います。
好きなこと、嫌いなこと。得意なこと、不得意なこと。譲れないこと、そうでもないこと。
人の思考と行動を表す氷山(アイスバーグ)モデルでいう、最も深い階層にあたる部分です。
他人の価値観に依らない、確固たる自分の軸がある。だから「他人軸の人生」ではなく、「自分軸の人生」を歩むことができる。
私が人の深い部分の話を聞くことに魅力を覚えるのは、自分とは全く異なる「軸」を感じるからなのだと思います。
放置していた「本当の自分」が、十数年越しに追いかけてきた
他人軸の人生を歩んだ結果どうなるのかは、自分の身をもって体験しました。
ちょっと前までの私は、「他人ありきの判断基準」で進む道を選んできました。
家族、友人、教師、世間の目といった、自分以外の人にどう見られるかという他人軸が、自分の中心にありました。
(当時の自分の認識では、好きなことを好きなように選んでいると思っていたのですが)
人生の節目になるような場面でもそれは変わらず、進学・就職・転職はいずれも「周りから心配されない」「安定感がある」という理由で行く先を決めました。
選んだ道と自分の内側が、運よくマッチしていれば問題なかったかもしれませんが、そう都合良くはいきませんでした。
大学に入学した時や、会社員になった時に感じた「これでいいんだよね?」という小さな疑問は、数年を経て大きな歪みとなり、さらに巨大な迷路となって、30歳を目前に控えた私の前に立ちはだかりました。
(詳しくは下記の記事で)
私が長らく迷走することになった迷路は、一度たりとも本気でに向き合ってこなかった自分自身、つまり「本当の自分」だったわけです。
置かれた環境で時折感じる「これじゃない感」は、本当の自分からの強いメッセージだったのですが、それをことごとく無視した結果、実力行使に訴えられたのでした。
ここまで追い込まれたら、もう逃げられる余地はないと覚悟を決めて、本当の自分と真剣に向き合ってみました。
運命の本 1冊目
本当の自分と対峙する上で、間を仲介してくれたのは1冊の本でした。
「世界一やさしい『やりたいこと』の見つけ方 人生のモヤモヤから解放される自己理解メソッド」(著者/八木仁平)
タイトルの通り、やりたいこと探しの教科書ともいうべき名著です。
この本と出合ったのは、毎日のように本屋をさまよっていた時。
タイトルに惹かれて手に取り、現状を変えるヒントが一つでもあればと思って読み始めました。
そこには、「やりたいこと探しの理論」が、端的かつ明解に、優しい語り口調で書かれていました。
するすると読み進めるにつれて、頭の中のもつれた糸が、少しずつほどけていくように感じました。
そして、「あぁ、これだ。まずはここからだ」と思いました。
原点回帰は、とてもしんどい作業だったけど
本書が語るのは、やりたいこと探しのために必要な「正しい自己理解の手順」です。
さっそく手順に沿って自己分析を始めてみました。
やりたいことを探すうえで、最も重要な「好きなこと」「得意なこと」「大事なこと」という考え方を、まずは定義から理解していきました。
さらに、それぞれの解像度を高めるためのワークを順番に進めていきました。
自分の中を覗き込む作業には、正直かなりの体力が必要でした。
記憶を呼び起こし、得られた経験を整理して、「自分の取り扱い説明書」に落とし込んでいく。
就活の時にも似たようなことをしましたが、目的意識も本気度も当時と全く違ったので、労力も段違いでした。
仕事と違って、納期や強制力が働かない作業をやり遂げるには、相応の覚悟が求められるものだと実感しました。
最終的には、「好きなこと」「得意なこと」「大事なこと」の掛け合わせから、「本当にやりたいこと」の仮説が得られました。
しんどい過程を踏んだ分、納得のいく答えが得られたと思っています。
ようやく人生のスタートラインに
いくつかの仮説の中で、最も強く興味をひかれたのが「書く仕事」でした。
その一つとして、取材ライターに挑戦してみることにしました。
どんな方向に進むか、進んだ道がどこまで続いているのかは、まだわかりません。先が見えないことへの不安は常にあります。
だけど、前よりずっと気持ちが楽になりました。
目的地とルートを決めたら、あとは走るだけ。人は目的を決めて走っていれば、それだけで安心するのだなと思いました。
たまに振り返りながら走る。途中で息切れしたり、道が別れたり、途切れたりしたら、立ち止まって考える。
そんな感じで、進んでいきたいと思います。
(現在までの実績は、下記の記事)
振り返って思う事
取材ライターを目指す前までの私の経歴は、進路から予想される道をおおよそ外れることなく、妥当で標準的なものだったと思います。
だけど、自分自身に対しては、とても不誠実な選択でした。
人生を左右する局面でさえ、他人の価値観に寄りかかっていました。
だからなのか、「もし失敗したとしても、誰かが何とかしてくれるんじゃないか」みたいな気持ちがあったように思います。
自分の人生を、どこか他人事のように扱っていました。
その事実に気づかなかった理由も、今ならわかります。
だって自分は「正しく頑張ってる」と思っていたから。
受験勉強も就活も、その時の自分にできる精一杯の努力を尽くしたつもりでした。
「やりたい」ではなく「やるべき」のマインドに端を発したものであっても、目的地とルートが定まっていたから、走るための原動力を疑うことはしませんでした。
30歳手前で道を見失って迷走することになったのも、ある意味、納得の結果だったと思っています。
でも、「やりたいことを見つけるには、みんな一度は迷走するべきだ」とは、全く思いません。
一度きりの人生で、使える時間も体力も有限。
私のように蛇行することなく、本当にやりたいことがある方向へ、出来るだけ一直線で進める方がいいに決まってます。
今、あるいはこの先、生き方に迷うことがあったら、ぜひ一度立ち止まって、いつもよりちょっとだけ真剣に自分の声を聞いてみてください。
置かれた環境で少しでも「これじゃない感」を感じたら、立場や建前をいったん全て取り払って、自分と対話する時間をとってみてください。
大丈夫です。良いも悪いもなく、自分は自分だけのもの。
いつどんなふうに変えたっていいんです。