プレイリスト
好きなものを数滴、共有したい。独り占めしたいぐらい愛するものを、全て惜しげも無く広げることはできないが、ほんの数滴ぐらいなら。
haruka nakamura
「デザイン」という分野に、気づいたら飛び込んでいた。作業は基本、一人で黙々と進めるタイプだ。制作って本当に孤独で、しんどい時の方が多い。おまけに芸大生でもないわたしはそういった同期の集まるコミュニティがない。=孤独と不安を共有できる人間がいない。結構堪える。正直デザインなんて向いてないんじゃないかと、毎度感じてしまう。「ああああまたやってるよーー。あほちんがー。」とぼやきまくっては、ピーク時は締切を1日に4つ抱えたりして日々死(計画的にやれ)。
校正にかかるまでは、自分のアイディアや世界をできるだけ落とし込みたい。無駄が嫌いだ。食事もあまりとらない。生きるの苦手。無駄は嫌いだけれど、適度に集中の湖に波紋を投じて欲しいので、YouTubeなどでよく音楽をかける。好みのプレイリストは「作業用BGM」のフォルダに保存して、何度でも聴く。
そんなわたしの作業のお供が、haruka nakamuraだ。メンタルがどうにかなりそうな時は、だいたいharuka nakamura。最近では、藤本タツキ先生原作のアニメ映画「ルックバック」の劇中歌・主題歌の作曲に参加して話題になっているから、たぶんもうほとんどの人が知っているアーティストであると思う。
好きを言語化するのは、結構難しい。感情が先行してしまって、うまく言葉にならない。けれど愛は伝えたい。できるだけ、わたしの持っている形や色をそのままに。
haruka nakamuraのサウンドの魅力は、思うに、素朴さと神秘性。優しくて、どこか懐かしい音楽と風景が頭をよぎる。どこか遠くの故郷に想いを馳せるような、haruka nakamuraの唯一無二の音楽が心地よいのだと思う。ここではない、どこか遠くのあの場所へ、ゆっくりゆっくり帰ろうという気持ちになる。例えるならそれは、夜明けでもあるし、秋の暮れでもあるし、初雪のあっけなさでもある。どこにでも存在する、回収されない繊細な日常の伏線を旋律にしたような、そんな音楽だ。いい意味で、気張らないで聴ける音楽。わたしのharuka nakamura沼の入り口の曲「Helios」は、神秘的で心が洗われる一曲。
だいたい締切控えた夜はharuka nakamuraで泣いている。心が。(やめちまえ)
青葉市子
洋楽ばかりに耽溺していたわたしに、衝撃を与えたアーティスト。留学中、特によく聴いていた。詩を中心とした文学作品が好きな人はこういう系統が好きだと踏んでいる。歌詞に注目したい。どことなく夢野久作や宮沢賢治、それから千早茜を感じる。
衝撃だった。どこか不穏で、幼い子どもの無邪気な危うさが香る。ギターと歌声というシンプルな音、そこに異次元の不吉で美しい詩が「わたしが主役ですから」というように脳を支配してくる。大体、「新しい亡骸を峡谷へ落とす」なんて怖すぎる。けれど、怖いはずのものを麻痺させるのが、青葉市子の「歌声」なのだ。「新しい亡骸をっ♩ 峡谷へ落とっす♩」みたいな軽快さで歌い上げるのだ。
かわいくないはずのものが、途端にかわいく思えてしまう。そんなおそろしい魔力が、青葉市子にはある。
「食べる」という行為で「あなた」を愛していることを伝えたい。わたしがそれを食べることで、あなたの「忘れたいもの」からあなたを守りたい。あなたの「忘れたいもの」は、きっとあなたを苦しめるものであるから、消さなければならない。あなたのために、消してあげるね。でもそれは、あなたを構成するものでもあるから、わたしは食べることにする。たとえわたしが壊れてしまおうが、食べ続けるよ。食べ続けていたい。刻みつけたい。
食べることであなたの一部になりたいのか、食べることであなたを体の一部として取り込みたいのか。いずれにしろ、どこまでも実直なわたしの愛が歌われている。
羊文学
誰がなんと言おうとも、羊文学では『予感』が一番好きだ。2:30ぐらいから5:30までの約3分間、いっさいの歌詞が消える。主役はギター。このハーモニーがとんでもない。1日の終わりに聴いてほしい。ギターの音色・フレーズのグラデーションとともに、その日の記憶が、フィルムカメラで撮ったノスタルジックな写真のような美しさでフラッシュバックする。何を言ってるか全く理解できないと思うから、試しに今夜寝る前に聴いていただきたい。この感動を体感していただきたい。魔法のような3分間ですから。
羊文学の中でも最も情緒的な楽曲の一つだと思う。
「そっと、おやすみ」でふわりと眠りにつきたい。
キタニタツヤ
( ※この曲、呪術廻戦のMADでめちゃくちゃ使われている気がするのは私だけだろうか。なんとなく、キタニタツヤって呪術廻戦との親和性が高いような。)
「私が明日死ぬなら」と言うなんだか過激なタイトル。一見すると、わたしみたいなちょっとメンタル病みがちな人間が好んで聴いてそうじゃん?(偏見)
そんな予想を遥かに超えるコンテンツ。「明日死んでしまう」と言う前提だからこそ表現できる「今(明日、明後日)を生きること」の意義と覚悟のようなものを、心に訴えかけてくる。
「さあ、もし明日死ぬならどうしますか? 後悔しますか? 何を思いますか?」と言う壮大な問い。
どことなく覚えのあるやり取りじゃないだろうか。今よりもっと未熟だった自分がふざけて放った一言で誰かを傷つけて、でもそれでも死なないでくれてありがとう。傷ついただろうけど、うまく痛みを誤魔化してくれてありがとう。
…って、ああ、わかる!そんなことも自分にはあったなあ。身に覚えがありすぎて胸が痛いと共感を呼ぶ歌詞。ひたすらすごい。
重いかな?と思わせる主題に劣らない歌詞の深さに、感銘を受けた。
「歌が生きる希望をくれました。」とインタビューで格好つける機会を得られたら、この曲を示しながらドヤ顔したい。烏滸がましいか。
Joji
これまた大ヒットした曲の一つなんだけれど、それでもわざわざここで紹介したいほど魅力のある曲だから許してほしい。
「僕なしでも幸せだって聞いたよ。それが本当ならいいな。ちょっと辛いけど大丈夫。(意訳)」これを言ってのける強さがすごいなあみたいな。大丈夫って言っているけど、本当はとっても辛いんだろうなあ。それでもなお愛してるんだなあ。と、失恋したこともないくせに色々想像してグッときた。「それはそれでどうなんだ?」と言うツッコミを待っていたんだけれど、裏を返せば、失恋したことがない私みたいな者でも感動できる曲であるということだ。ちょっと泣いているみたいなJojiの歌声が、またいい。至高の一曲。
コナン・グレイ
高校生の頃、Billie Eilish、Olivia Rodrigoと並んでずっとリピートしていた。特にお気に入りだったのがHeather。これまた失恋の痛みとかわかるはずもないのに「いやーん」って胸を押さえていた。どういうこと。我ながら不可解。不可解ながらに、そこにコナンの音楽の魅力があるのだと思う。好きすぎてめちゃくちゃギターで弾き語りしていた。
Lookalike、Greek Godも好き。あの頃のアルバムの曲は総じて。
JVKE
2022年を代表するアーティストだと勝手に思っている。彗星の如く現れた天才。
アルバムをシャッフルしないでそのままの順序で聴いてほしい。恐ろしすぎる。全てが計算し尽くされている。JVKEはgolden hourで大ヒットしたので、なんとなく聞き馴染みがあると思う。
しかしだ、このアルバム、本当にやばい(語彙力)。
特に9曲目のsave your breathからのthis is what falling out of love feels likeの「つながり」に注目してほしい。まるでこの2曲で一曲になっているかのように自然なまでの曲のお尻と頭。そもそもこの「this is what _____ feels like (Vol.1-4)」がとんでもなく壮大な一つのストーリーとして読めるのだ。なぜならほとんどの楽曲に、ある共通する音のまとまりが散在しているから。これ、かなりすごい。初見で度肝を抜かれた。
ドビュッシー エリック・サティ
クラシックって語るのが難しい。語るにあたって、正解とされる型がありそうでちょっとハードルが高いというか。うぬぬぬ…それでもやはり、よく聴くし、よく演奏するし、とてもとても好きなので「好きだー!」とだけは言わせてほしい。
それでは行きます。
雨や霧の日に聴くドビュッシーと、サティが…っ好きだーーー!!!!!!!
…ふぅ、すっきりした。
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