理非
『正しい』ことから外れる それはこわいこと
理非を翳して 篩をかけて 降り落ちて行かずに 残ったものはポイ
男を好きになる 女を好きになる 人を好きになる
判別し 好きになる人
判別せず 好きになる人
判別せず 好きになれぬ自分
結ばれてゆく人々
結ばれぬ人々
自分の足だけで立って歩いてゆく人々
スキップしてゆく人
走り去って行く人
ゆっくり歩いて行く人
立ち止まって振り返る人
眠る人
眠れぬ人
みんな人
それなのに 理非が区別する
理非 道理
お前は誰だ
何者なんだ
男とか女とか、恋愛とか
所謂恋バナほど人間関係の浅深を露呈するものはないと、今のところ思っている。知人以上友人未満。ただその場に集まったもの同士程度の関係性で、その場の成り行きで恋愛に関するトークが始まると、大抵私は嘘ばかりをつく。思ってもない肯定。自意識低めの嘘だ。「わかる。私も彼氏欲しいわー。」こう言っとけば、なんとでもなるのだ。なんて浅いのだろうか。そして、なんて生産性がないのだろう。しばしの虚無を耐え忍ぶ。
どうも自分という人間は、この恋バナを心から楽しめない。誰それのあの行動にキュンとした〜…こういうシチュエーションで告白しようと思う〜…云々。スカスカに乾いた理性のスポンジを絞りに絞って相槌を打つ。どんなに頑張っても共感ができぬのだ。あるだけの良心で話を聞く。親しい人間相手なら、なおのこと。自分なりに考えたことをできるだけ論理的に並べて、添えて。もう本当に、極限まで本音をここで言ってしまうと、「へえ、恋愛を有性生殖(ヒトとして当たり前か)までのプロセスと仮定すると、生得的行動の一つとも言えるのかも?…種族保存的な本能としてとても妥当なことだと思うよ」程度なのだ。そう、恋愛に対して。多分、ものすごく冷めていると思う。それか、もうただの阿呆。どうも、他人の感情の機微など全くもって興味が持てない。社会も言語も、果ては愛だって、種の繁栄と存続のために所詮プログラムされたものでしかない。乗っかるだけ乗っかっている感覚だ。うまく線引きをして、必要以上の干渉を拒む。そうしていれば、大抵はうまくいく。友人も言うが、恋愛に関する私のIQはサボテン以下だ。なんだか悲しい。最も悲しいのは、大学生という遊び盛り青春盛りのフェーズに在ることだ。これまで以上に、誰だったかも忘れつつあるような人間の恋愛譚や痴話話ばかりが気づいたら耳を掠めている。そして、毎度の如くうっすい表情と相槌で事が済むまで耐え忍ぶのだ。何が花盛りだ。青春だ。糞食らえ。
どれだけ政府や意識の高い人間たちがジェンダーに対する理解を深めましょうねと提唱しても、この世界の日常は、古い時代の延長線上だ。少なくとも、私の生活は以前から何ら変化は起こっていない。女は男を好きになり、男もまた女を好きになる。彼氏は?彼女はいる?が自己紹介のテンプレで、「いないんだ!モテそうなのに〜」までが、アンハッピーセット。モテそうとか、そういうクライテリアは一体何。どこから湧いて出た。誰が作ったんだ。製作者引っ張ってこいよマジで。
どうもこうも、苛立ってしまうのも、自分がアセクシャルと自認しているからだ。生物学上男にも、女にも性愛感情を抱けない。どんな近しい人間も、性別問わず親友が頭打ちだ。マイノリティの生きづらさというのは、頭では理解していても、受け入れること自体は難しい。法の壁、世間一般常識の壁を前に、私はいつだって心が休まることはない。二人以上の時、私個人の判断・行動一つで誰かを傷つけるかもしれないなんて、とても恐ろしいことだ。見えない縄でがんじがらめになっているかのようだ。自由とは。
自分と、自分以外を天秤にかける人間関係。選択肢の一つ一つの重さと、それに伴う結果の重大さが、マイノリティの背負う重さのそれのようにも感じられる。
気安く近づくのも、夜出かけるのも、飯を食うのも、寝るのも、同性にのみ許される特権なのだろうか。どこからが「思わせぶり」で、どこからが「デート」で、「恋人」であるのだろうか。私にはそのラインがわからない。困った。
二人で旅したり、家に転がり込んで飯を作ってもらったり、腹を割ってなんでも話せたりできる友人がいる。(女性)
隣で寝てくれると、クソみたいな不眠も緩和される友人がいる。(男性)
小動物みたいでついつい、構い倒していじってしまう友人がいる。(女性)
本の趣味が合うので深夜まで家で話し込んでしまう友人がいる。(男性)
()のあるなしで、印象がだいぶ異なるのはなぜ。空気の色が変わってしまうのはなぜ。私の心地良さを優先する対価に失われるものが見える気がして、少し心持悪い。身勝手なことなのだろうか。
いくら理解・意識促進キャンペーンもどきをしたって、容易には覆せない無意識下の理非がある。ジェンダーだけに限らず、ありとあらゆる物事に関して、私たちの内側に刷り込まれている厄介なもの。
世の中は()だらけだ。()に対する()だらけ。
破壊欲求
物事は多面体だ。
誰だって、ある一面で少数派を経験しているはずだ。
歯痒い思いを抱きながらも、
今日も私たちは、まだ出会えぬ片割れを探している。
理非を絶した小説が少ないように、どうにか社会のレールから外れぬように。
でも実際、心の中ではいつだって道理も常識もめちゃくちゃに破壊している。
静かに、社会に中指を突き立てて。微笑を浮かべて。
今日も俗念を内に秘め、塵界を生きる。
クソー、また浮いちまった。
しばらくはどうにもなんねえな。
いつか、本をつくりたい