新しい案件では、以前書いた件の同僚に怒られることが多く、ずっと仕事のできない自分が悪いと思っていた。 同じチームの同僚にはアドバイスをいただきながら、自分なりに頑張ってきた。なるべく完璧なものを、その人が満足のいくものをださねばと。 だけど、どんなに見直しても第三者にみてもらって直しても、ささいなことで、鬼の首をとったかのように強く言われてきた。だんだんと感覚が麻痺していたのだと思う。 全部仕事の至らない私が悪い、なんとか信用取り戻すように努力しなければ…と。 だけど、
昼休み、会社近くの神社でおみくじをひいた。 おみくじのメッセージ、いつも的を射ているので、悩みがある時には重宝している。 人を見下し、妬む人にはそれ相応の報いがくる。 自分の職務を真摯に全うし、スキルを磨けば報われる。 今回のおみくじ。まさに今の自分の置かれている状況と合致しているではないかと。 亀のように歩みは遅いかもしれないが、一歩一歩、しっかり地に足つけて、歩んで行こうとおもう。
仕事での話。少し愚痴。 頭の回転も早い。知識も深く仕事もでき部署の上役に気に入られている他部署の同僚。人柄も悪くはない、と思う。多分。 だからか、その人の中では常に正解がある。その人にとっての正義。 その正解と一致しているときは良い。が、ずれると高圧的な物言いで苦言を呈される。確かにこちらの不手際があることも認めるが、そもそも部署の土台が違うのに、しかも上司でもないのに、その言い方はないだろうと。視野が広いようで狭い。 こっそりそろそろコンプラ通報しても良いかな、と思っ
どこにいくにも連れていく、多くの人の子供時代にいたであろう、友達のような、お供のような存在。 息子はトミカや、ヒーローのフィギュアだった。娘は手乗りサイズのぬいぐるみ。 私にももちろんいた。クリスマスにサンタクロースにもらったバイオピンクの超合金だ。朝目覚めて、バイオピンクがいた時の感動は今でも忘れられない。 年子の妹は、ジェニーちゃんを大事にしていた。ドレスを着せて髪を結んで。ドレスを着せられないかわりにバイオピンクを磨いた。髪を結ぶ代わりに、ぬいぐるみと戦わせた。
疲れていた。本当に疲れ切っていた。 あまりに疲れ過ぎて、会社から離れたくて転職活動に足を踏み入れてはみたものの、全くうまくいかず。 40を過ぎ、目立った功績もなくただひたすらに業務をこなすのみ。その生き方が悪いとは思ってもいないし、それなりに会社に貢献はできていると思う。 だが、転職市場では価値はなかったらしい。 次の一手はどうするか。とりあえず、資格をとることにした。同僚に、業務に沿った資格のあれこれを教えてもらい、勉強を始めた。 分厚いテキストとにらめっこしなが
孔子の論語に書き記されている有名な言葉だ。 だが、ところがどっこい。四十を過ぎて幾数年。迷ってばかりである。 二十代は若さ故、怖いもの知らずだった。根拠のない自信。未来は明るい、自分は何にでもなれる、なんでもできると信じていた。 三十代は、結婚、子育てとがむしゃらな日々だった。初めての育児。幼い子供と向き合う毎日が必死だった。 四十を過ぎ、少しずつ子供に手がかからなくなり、自分と向き合う時間が増えた。二十代の頃よりは臆病になり、三十代の頃のような必死さはなくなった。心に
40を過ぎて数年。子供も少しずつ手がかからなくなってきた。 母親ではあるけれど、日々仕事と家事で忙しいけれど、少しずつ自分と向き合える時間が増えてきた。 何をしようか。 そうだ。思うがままに日々をつづろう。 そう思って開いたnote。 いつまで続くかわからない。三日坊主かもしれない。 お付き合いいただけると幸いです。