稲刈りとかぼちゃのケーキ
実家が稲作をしていたのは、はるか昔のことである。私の記憶にはない。
両親は、田舎生まれなのに稲刈りをしたことがない子どもたちのことを心配し、親戚に頼んで稲刈り体験をさせてくれた。
荷台に乗って出発!
当時、町内に、遠い親戚にあたるおじちゃんおばちゃんが住んでいた。同じ町とはいっても、かなり山間の集落である。おじちゃんは無口でほとんどしゃべらない。おばちゃんはずっと働き続け、ずっと話し続けている人だった。このおばちゃんが稲刈り体験をさせてくれた。
当日の朝、稲刈りができる支度をした私と妹を、母が車で送ってくれる。おじちゃんはすでに出発していて、おばちゃんが待っている。私たちと同様に稲刈り体験をするためにやってきた、親戚の姉弟もいた。おばちゃんが運転する農業用車の荷台に子ども4人が座った。必要なものを積み込んで、農業用車はゆっくりと動き出す。
犬もいたよ
更に、おばちゃんの飼い犬二頭も一緒に走り出した。番犬用の犬で雑種だ。顔立ちは柴犬のようで、かなり大きい。遊びに行くたびにウォンウォン吠えるのだが、迫力満点で、慣れるまでは怖かった。だが、実は彼女たち(雌犬だった)は、おじちゃんおばちゃんの言うことにしっかりと従う、とても賢い犬だった。やめなさいと言われれば、ぴたりと吠えるのをやめた。稲刈りにも一緒に行く。嬉しそうだった。
静かな風景
農業用の車はゆっくりしか走れない。道は舗装されておらず、わだちの部分以外は草が生えていた。辺りには民家もなく、ただただ田畑だけが連なっていた。田畑のすぐ近くまで山が迫っている。子ども4人は荷台の上でおしゃべりをしているが、まわりは静まり返っていた。
稲刈り
子どもだった私の感覚としては、相当遠くまで行ったような気がする。山と集落の間の、田畑しかないところの、そのまた奥におじちゃんおばちゃんの田んぼがあった。おじちゃんはすでに仕事を始めていた。私たちもお手伝いを始めた。二頭の犬はとびはねて遊んでいる。
おばちゃんは私たちに稲刈り用の鎌を渡し、使い方を教えた。いつも使っている鎌とは形が違う。鎌の歯はギザギザしている。これで稲刈りをしていく。おじちゃんは稲刈り機を使っている。稲刈り機が入っていけないような凹凸のある田んぼの稲刈りをしたり、刈り終わった稲をあつめてハゼにかけるのが子どもたちの仕事だった。おばちゃんは、子どもたちのおかげで仕事がはかどる、助かったと何度も言ってくれたが、そんなことはない。働き者のおじちゃんとおばちゃんで作業を進めた方が早いはずだ。2人が子どもたちを受け入れてくれるのは、親戚の子どもたちに稲刈り体験をさせてやりたいという思いからだったのだろう。
かぼちゃのケーキ
昼食は、刈り終わった田んぼの一画で食べた。二頭の犬も一緒にいて、昼食の残りをもらっていた。私たち以外に誰もいない。子どもたちが大きな声を出しても全然平気だ。
毎年、お楽しみがあった。私たち以外に来ている姉弟の家から、かぼちゃのケーキの差し入れがあるのだ。2人のお母さんの手作りの素朴なパウンドケーキなのだが、これが絶品だった。どんなケーキだったのか、思い出して説明してみたい。
外はカリッと、中はムッチリとしており、一口サイズのかぼちゃがごろごろ入っている。生地は甘さ控えめ、かぼちゃと卵の味がする。これがアルミホイルに包まれていた。
当時の我が家のかぼちゃの食べ方は煮付けと天ぷらのみ。かぼちゃのケーキなどというハイカラな食べ方は知らなかった。おいしくて、毎年楽しみだった。どうしてレシピを教わっておかなかったのだろう。悔やまれてならない。シーズンになると、かぼちゃケーキのレシピを毎年検索しているが、あの時のケーキだ!と思うレシピには今のところ出会えていない。
稲刈り体験は、稲と太陽と大きな犬とかぼちゃケーキという薄黄色いものの思い出となっている。
小学校を卒業すると稲刈りに行くことはなくなった。今ではおじちゃんおばちゃんも亡くなってしまった。一緒に稲刈りをしていた姉弟とはそれきり会っていない。元気にしていると聞いたが、どんな顔をしていたのかも忘れてしまった。
あの山奥の静かな田畑は今でもあるのだろうか。もう山に戻ってしまったかもしれない。
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