草取り道
草取りの季節到来!!
春になると、あっというまに草取りのシーズンがやってくる。ちょっと前まで寒々しかったところが青々としてくる。
このところ、草取りの話題をあちこちで目にしたので、私も草取りのことを書いてみよう。
祖父の草取りは鎌研ぎから始まる
祖母は祖父のことを「受験生を下宿させているみたい」と言っていた。勉強、趣味、仕事、ペットの世話など、自分の仕事を自分の計画に従ってやっていく。草取りは祖父のスケジュール帳に記入されていたとは思えない。
そんな祖父でも、時には草取りをしようと思うことがあった。
祖父はまず、バケツに水を汲む。中に砥石をいれる。鎌をかまえて、しょりしょりと研ぎ始める。いい感じに研げたと思うと試し切りをし、不十分かなと思うとまた研ぐ。こんなことをしているうちに日が沈む。祖父が草取りをしている姿は思い出せない。
子供の頃、草取りをするように言われた私は、祖父と同じようにバケツに水を汲んで鎌を研いでいたという。
祖母の草取りは何が草か知ることから
祖母が草取りをしているところは見たことがない。そもそも、祖母が庭先に出ているということを思い出せない。祖母は家の中で家事に没頭し、外に出るときは買い物に行くときだった。
そんな祖母から繰り返し聞いたのは終戦直後の思い出話だ。この時期は食料不足だったこともあり、祖母も畑に出た。一生懸命草取りをしていたら、「奥さん、それは草じゃありませんよ。野菜の芽が出てきたんですよ」と通りがかりの人に言われたそうである。そのくらい、祖母は畑のことを知らなかった。しかし、必死で畑仕事をしていたのだ。その後、凝り性の祖母は、農作業についても相当の知識と技術を持つようになったらしいが、残念ながらその技を見せてもらったことはない。
父の草取りは容赦がない
父は草取りのプロだと思う。ビーバーで一気にきれいに刈ってしまう。
まあ、「プロ」と書いたが、このあたりのおっちゃんたちは、皆ビーバーを上手に使う。別に父に限った話ではない。皆、朝からブンブン言わせて刈っている。
ビーバーを使えばそんなの当たり前だ。と、若い頃の私は思っていた。そう思って自分でもやってみた。全然だめだった。父が使っているものよりもはるかに軽い機種を使っているにもかかわらず、ちょっと使っただけでくたくた、腰も痛い。おまけに草はあちこちに刈り残しがある。もう一度ビーバーを使う必要がある。
疲れにくい持ち方、姿勢、使い方がある。刈り残しを作らないように刈るコツがある。教わるだけではなく、自分でやってみて体得していかなければうまくならない。父のようなビーバー使いになりたい。
しかし、父の草取りには問題が一つがある。
父は一気に草を刈る。だから、
「そこにはこの間◯◯を植えたばかりなのに!」
「そこにはやっと◯◯の芽が出てきていたのに!」
「全部刈っちゃったのか!!」
ということが起きる。だけど文句は言えない。そんなに大切な◯◯なら、◯◯の周りの草取りくらいやっておけよ、ということである。草取りしてあった? あんなの草取りしたうちに入んないよ、だからビーバーで刈ったのさ、ということである。父の草刈り被害者は何人もいる。容赦ないのが父の草取りだ。
母の草取りは癒やしの時間
母の草取りは草かきと鎌の兼用である。また手で引っこ抜くのも得意だ。「家から出たらひとつ引っこ抜き、家に戻る前にひとつ引っこ抜く」が母のモットーである。
私が子供の頃、母は働いていた。たまに休暇で家にいるとき、母はよく草取りをしていた。庭の植木の下など、ビーバーでは刈りにくい場所の草を鎌で刈る。私は手伝いで草を運ぶ仕事をした。母が刈った草を集めてざるに入れ、草捨て場に持っていく。
母は草を片付けることを考えずに草取りに集中できる。私はただ草を集めて運ぶだけなのにお手伝いをしたことになる。お互いに利点があった。
母は草取りの合間に、私に草花について教えてくれた。「この草はあの木の種が芽をだしたもの。このままにしておいたら木になっちゃうよ」「この草はちゃんと抜かないとすぐにまた生えてくる」そんな豆知識が増えるのも楽しみだった。
せっかくの休暇に草取りをする母のことを、当時は「大変だ」と思っていた。今も半分はそう思うが、そうではない部分にも気がついている。
母は祖母と顔をあわせるのが気詰まりだったのではないか。
元気な頃の祖母はそれはもうエネルギッシュな人だったから、祖母と一緒に家の中にいても休まらなかっただろう。それぐらいなら草取りをしようと思っていたのかもしれない。
私の草取りは形から入る
私の草取りは結婚してから本格的になった。様々な失敗を経て、今の私の草取りは重装備である。両親は「かっこだけはいっちょまえ」と言って笑う。
紫外線と虫と土汚れと暑さから身を守るため、頭にかぶった農作業用帽子から長靴まで確かに重装備である。
さらに、もう一つ草取りに欠かせないものがある。スマホとイヤホンだ。ほどよく面白く、ほどよくどうでもいい内容の動画の音声を聞きながら作業を進める。面白すぎると音声だけでは満足できなくなるので危険だ。ラジオ番組などもおすすめだ。最初は動画を聞きながら渋々やっていた草取りが、没頭してくるにつれ、楽しくなってくる。そういう境地になると、動画はどうでもよくなる。眼の前の草だけに気持ちが集中してくる。ごちゃごちゃしていた頭がリセットされるような感覚がある。だいたい、ビーバーにしろ、鎌にしろ、刃物を持っている人間に話しかけてくる人はいない。誰にも干渉されず、ゆっくりと作業ができる。
時々休憩を挟みながら数時間やると、私の草取りでもそれなりにきれいになっている。達成感がある。きれいになった庭を見ながらお茶を飲んだりすると本当に気分がいい。その後は何もしなくても、何なら家の掃除がすんでいなくても何の罪悪感も起きない。逆に掃除をした後に庭にはびこる草を見ると草取りしなくちゃと焦燥感にかられてしまう。
草取りは面倒くさいはずなのに。こうやって書くと、なんだか草取りが楽しそうではないか。「かっこだけでなく、言うこともいっちょまえ」と両親に笑われそうな気がする。この間刈ったばかりなのに、我が家の庭は草だらけだ。
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