チャイと夫と優しい夜
金曜日の夜。子供たちが眠りについたばかりのリビングは、どこか中途半端に静かだ。ソファでは夫が本をめくっていて、ページをめくる音がふわりと耳に届く。それ以外には何も聞こえないけれど、「静まり返る」とはまた違う。むしろその静けさの中に、週末が始まる予感がじんわりと染み込んでいる気がする。
私はキッチンでチャイを作っている。棚からスパイスを取り出すと、ひとつずつ慎重に手に取りながら鍋に加える。カルダモン、シナモン、クローブ、そして生姜の香りが鼻先をくすぐると、なんとなく体がほぐれてくる。ミルクを注ぐと鍋の中の色がやわらかく変化して、私の手元から立ちのぼる湯気が、冬の空気にほんの少し湿り気を与える。
「いい香りがする」と、夫がソファから言う。顔を上げると、本を膝に置いたままこちらを見ている。チャイ、いる?とたずねると、一口もらうだけでいい、とかえってきた。私は了解の意味を込めて鍋の中身に視線を戻す。甘い香りとスパイスの混ざり合ったその湯気は、どうしていつもこう安心させるのだろうと思う。
チャイができた。カップに注ぎ、両手で持ってみると、じんわりとした温かさが指先から伝わる。リビングへ行くと、夫はまた本に目を戻していて、その横顔を見ながらソファの隅に腰を下ろす。「ちょっとおいしいものでも飲みたい気分だった」と、言葉にしないで思う。特に今日は、明日が土曜日であることが、その「ちょっとおいしいもの」に似合う夜だから。
一口飲む。スパイスのほろ苦さとミルクの甘さがゆっくりと混ざり合って、喉を通る。今日までの一週間がようやく終わった、という実感が体の奥からじわじわと広がる。夫がまたページをめくる音が聞こえ、私はふとその手元に目をやる。温かいカップを持つ自分の手と、少しだけ似たその動きが、不思議に心地よかった。
明日の朝は、目覚まし時計を気にせずに目を覚ます。慌てることなく、布団の中でだらだらと寝返りを打ち、のんびりした空気をそのまま抱きしめるような朝になるだろう。そのことを思うと、なんだか胸の奥がじんわりと高揚する。それでいて、この夜の穏やかな時間はその高揚をちょうどいい具合に抑えてくれる。
チャイの湯気がもう薄くなってきた。夫が本を閉じる音がして、ふいに顔を上げると、こちらを見て微笑んだ。それだけで、今日はもう十分だった。