『路面電車』子供たちに贈るやさしいエッセイ 卒業生 長谷川尚哉(はせがわ なおや)
幼少期の思い出は、いろんなところに眠っているものです。
たとえば生まれ育った家や愛用していた小物、街並みや自然、そして公共交通機関。
遠い記憶に思いをはせるエッセイです。
是非ご覧ください。
リテラ「考える」ことばの教室 卒業生 長谷川尚哉
少し前、雑司が谷霊園に行った帰りに、一駅分だけ、都電荒川線に乗ってきた。かつては東京中に張り巡らされていた路面電車の、いまやただ一つの路線である荒川線は、東京二十三区のうち、四区のみを走っている。そんなごく狭い範囲に暮らす人々にでのみ身近な路線だが、私にとっても思い出深い路線だ。
幼少期の私は祖母に面倒を見てもらうことが多く、その祖母の住んでいた荒川区では、都電荒川線は便利な交通手段だった。
鉄道駅が少ない地域にも、都電の停留所であればちょうどいい間隔で設置されている。車内が混むことはほとんどないし、車両もこぢんまりとしてなんだか可愛らしい。そして何より、遊園地の前に停まる。小さな子供がお出かけするのには丁度いい路線だった。
しかし私が少し成長し、幼稚園児になるころには、都電に乗ることはぴたりとなくなった。小さな遊園地で遊ぶよりも博物館で恐竜の骨を見る方が楽しくなったというのもあるし、なにより、よく私を都電に乗せてくれていた祖母がそのころ亡くなった。もはや乗る理由も、乗る機会も失われてしまったのだ。その後の数年で、もしかしたらほんの数か月で、私は祖母や都電との思い出を急速に忘れていった。それらを少しずつ思い出し始めたのは、それからさらに何年もたってからだった。
祖母は雑司が谷霊園という霊園に埋葬されている。その雑司が谷霊園のすぐそばには、都電雑司が谷という停留所がある。この前一駅だけ都電に乗ってきたのは、墓参りに行ったついでだった。停留所を発車した路面電車は、今ではぼんやりとしか思い出せないあの頃と同じように、のろのろと走る。いとおしく感じると同時に、こんなにのんびりとしていては、二十世紀半ばごろに都電がほとんど滅び去ってしまったのも仕方がないと思えた。そういえば子供の頃は停車ボタンを押したくて仕方がなかったのだが、一度だって押した記憶がない。この機会に押してみよう。そう思って手を伸ばそうとした時、ベルの音が車内に響く。誰かに先を越された。