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『みんなの!ユートピア』~幸せ!~リテラ探求学習研究レポート

人々は古くから理想郷を追い求めてきました。しかし、本当にそのようなものは存在するのでしょうか。つくり出すことはできるのでしょうか。

この研究をしたのは、新高校3年生のN・Hさんです。



■YouTube動画


■リテラの先生からのコメント

最初はSF映画に出てくるディストピアについて考える研究でしたが、気がついてみると、私達の社会のしくみについて深く考察する内容に発展していましたね。
多くの人が意見を言える今の社会だからこそ、その正しさを一人ひとりが見定める必要がある。
これからも、一緒に考えていきましょう!

■テキスト資料

先日、私は、ドラえもんの映画『のび太と空の理想郷』を観ました。
タイトルにもあるように、空のユートピアを舞台にした劇場版ドラえもんの最新作です。


理想の社会であるユートピアは、ジョナサン・スウィフトの『続ガリヴァー旅行記』の馬の国、H・G・ウェルズの『タイムマシン』、ロイス・ローリーの『ザ・ギヴァー』などでも描かれます。


ユートピアという国は、イギリスの思想家トマス・モアが1516年にラテン語で出版した著作『ユートピア』に、初めて登場します。
ユートピアでは、従事する仕事や、人々の時間ごとの行動や内容が決まっています。
また、個人の私有財産はなく、金や銀など貴金属を蔑む習慣があります。
信教は自由ですが、奴隷制があります。
ただ、トマス・モアのこの著作は、イギリスの社会を批判するためのもので、本当にこうした社会をユートピアだと思っていたかはわかりません。


ユートピアは、社会は適切な管理をすれば想定した通り動かせるという前提のもと成り立ちます。
ユートピアとは、全ての国民が正しく暮らす国であり、私有財産がなく、社会体制は変化しないまま永続し、対立がありません。
そもそも格差はないものとされるので、持つ者と持たないものの間の葛藤はあり得ません。
また、政治的な失敗や腐敗もないものとされるので、権力構造の固定は問題とされません。


ユートピアの対義語として、「ディストピア」があります。
ディストピアとは ユートピアを成り立たせている考え方の傲慢さや内包される矛盾点に着目したもので、ユートピアの裏返しと言ってもいいでしょう。
つまり、全ての国民が正しく暮らす国は、定められた正しさのもと生きる事のみ許されることになります。
私有財産がないということは、個人としての生活が許されないということであり、変化しないまま永続するということは、それ以上進歩しないということです。
また、対立がないということは、許されるのは一つの価値観のみであるということです。


たとえば、先に紹介したギヴァーでは、人々は成長するに従って多くの薬を飲まされ、生理反応や感情を抑制されています。
そして、人口を管理するために、体重など、健康的に劣ると考えられる新生児を、解放と称して殺しているのです。


ジョージ・オーウェルによるディストピア小説である『1984』の世界では、主人公の住むオセアニアでビッグブラザーと呼ばれる党による独裁が行われています。
そこでは、党による主導で、言葉を簡略化して思想を断絶しようとする試みがなされたり、党の予想や計画が実現しなかった場合には実現したことになるような経済指標の改ざんが行われています。


ディストピアは、社会体制の維持という意味では、最も理想的な体制の一つとも考えられます。
しかし、一人の人間として社会を見た時、人間性が否定されることになるのです。


私有財産の廃止を目指した共産主義国は、ユートピアと同一視された時代がありました。
しかし、計画経済の失敗によってソ連が崩壊したことで、個人の思考、感情は、計画通りに動かせないことが浮き彫りとなりました。


私達の社会は、民主主義社会です。
民主主義社会は、小さな戦争とも形容される意見のぶつかり合いを推進し、よりよい社会を目指す社会形態です。
それぞれが持つ異なった理想をぶつけ合いながら進んでいく社会である民主主義社会の本質が機能し続ける限りは、ユートピア的な理想の社会の実現はあり得ないと言えます。


ソビエト連邦のような一党独裁による全体主義国家が、ユートピアや楽園という価値観を重視するのは、貧富の差を消滅させるという理想に加え、民主主義社会においては肯定される「小さな戦争」や衝突を否定し、それが存在しない理想の社会、つまり、ユートピアを実現することは可能であるという思想からであると考えられます。


民主主義において、衝突は極めて重要な役割を持ちます。
しかし、現代社会においては、インターネットの発達などの要因で、多くの人が衝突へ介入することが容易になりました。
また、科学の発展によって、地球温暖化や環境ホルモン、ウィルスなど、目に見えないリスクが焦点化されることになり、専門家でさえ統一した見解を示すことができない問題に、多くの人が巻き込まれることになりました。
衝突は分断の引き金ともなりえます。
本来、衝突を通してよりよい社会にしていくことが、民主主義社会において期待される衝突の役割なのですが、対立を乗り越えることができずに、社会の分断を招くこともあります。
衝突が多くの人たちにとって身近になることは、民主主義社会にとって良くも悪くも大きな転換点となります。
多様な視点からの多様な意見を受け入れることができるという点は、よりよい社会を目指すうえで強みになります。
他方、多くの人が衝突に介入するのが容易になるということは、言い換えればどんな衝突にも簡単に首を突っ込めてしまうということです。
衝突の渦中に、深く考えない人々が一定数存在することになり、それによって、本来衝突を乗り越えた先にある、よりよい社会の実現という目標は遠のいてしまいます。
民主主義社会のこれからは、このような衝突や、それによって生じた分断をいかに乗り越えていけるかにかかっていると言えます。
そのために、理想の社会はない、という前提を共有することが大切であると考えられます。
多くの場合、誰かの理想は、ほかのだれかの理想と食い違います。
ユートピアが幻想に過ぎなかったように、誰にとっても理想的な完璧な社会の実現は不可能であり、互いに話し合いながら、どのようにして少しでも良い方向に舵を取るかが大切なのです。
これで発表を終わります。
聞いてくださって、ありがとうございました。


この記事を書いた生徒さん

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