【神回】『天使の耳-交通警察の夜-』第4話まで観ました【最終話】
はじめに
『天使の耳−交通警察の夜−』最終話の第4話まで鑑賞完了しました。第1話~第2話で信号無視の衝突事故、第2話~第3話であおり運転、第3話~第4話でトラック横転事故&交通課捜査係の主任・金沢行彦(安田顕さん)の過去、という1話でふたつの事件を扱う構成でドラマ化された本作。
第1話・第2話にはタイトルの”天使の耳”を持つ全盲の少女が登場するのですが、それ以降は出てきません。正直、第1話は原作者・東野圭吾さんの聡明さがよく表現されていて感心したのですが、それ以降の話は非常識な人の相手をせねばならない警察という構造に見えてしまい、noteに記録するのを控えておりました。
しかし、最終話の第4話は道徳的にも法律的にも非常に考えさせられる内容で、かつ実際の事件ともリンクしているように思えました。東野圭吾さんの作品と云うと、先生の人柄を反映した『義理や人情に溢れるあまり、法を軽んじる主人公』という三国志演義でいう関羽の仇討に燃えて孔明の進言を無視する劉備、みたいな作品が多いように思えます(『容疑者Xの献身』とか、『さまよう刃』とか…)。
今回もやっぱりそうでした。でも素晴らしい作品でした。記録していきたいと思います。
個人的な評価
ストーリー A
脚本 A-
構成・演出 S
俳優 A+
思想 A
音楽 S
バランス B+
総合 A+
S→人生に深く刻まれる満足
A→大変に感動した
B→よかった
C→個人的にイマイチ
第4話のあらすじ(ネタバレあり)
内容的には、トラックの走行中に急に道路を横断した人のせいでトラックは急ハンドルを切って横転し、その結果運転手は亡くなってしまうという話から始まります。
しかし、その横断した常識ない人は道路交通法上、何の罪にも問われません。法律的には、運転手の前方不注意で勝手に急ハンドル切って横転して亡くなっただけ、ということになります。
しかも、その人は自分のせいで他人の命が失われたにもかかわらずまったく反省しておらず、警察上層部の友人の妻で、そのコネの圧力で捜査自体打ち切られてしまいます。そんな理不尽な状況に対し、亡くなった運転手の妻が復讐を試みます。
亡くなった運転手の妻は加害女性(法律上は被害者)をストーカーするようになり、ある日その女性が運転する車の前にギリギリのところで飛び出して急ブレーキ急ハンドルを切らせるように仕向けます。
自分の命を犠牲にして、自分の夫がやられたことをそのままやり返すという同害報復を試みたわけですが、彼女が轢かれる寸前で金沢の部下・陣内(小芝風花さん)が飛び掛かって対人事故は防がれました。
運転手の妻は、自分が轢かれることで加害女性を刑務所に送るという自爆作戦を決行したのに、邪魔が入ったことに悲痛な叫びで無念を訴えました。
この件に関して、金沢は陣内より先に気づいて被害女性を見張っていたのに、彼女を止めることができませんでした。なぜなら、金沢も彼女同様、理不尽な交通トラブルで最愛の妻を亡くしていたからでした。
金沢が味わった苦しい経験の詳細は、妻が心臓発作を起こし、いち早く病院に連れて行けば助かったところ、その日は大雪で救急車を呼べず、友人の車で病院に向かったものの、狭い道に車が路上駐車をしていて通れず、道を引き返して病院に急ぐも間に合わず妻は亡くなった、というものでした。
狭い道に車を違法駐車していた男性は、無理矢理通ろうとしてできた車の傷を当て逃げと主張し、修理代を水増しして金沢に請求しました。その横柄で反省のない態度に対し、金沢は支払いに誠実に対応するふりをして仲良くなり、粛々と彼の殺害計画を練りました。
山奥の別荘に彼を呼び出した金沢は、酒を飲ませて酔わせて眠らせたあと、酒瓶をテーブルに叩きつける音で起こし、自分の妻が亡くなったこと、なぜそのようなことになったかの経緯を泣きながら語ります。
すると、自分のことを言われてると気づいた彼は慌てて自分の車で逃走しますが、一本道の狭い崖道に行く手を塞ぐように車が駐車させてあります。ギリギリ彼の車が通れるかどうか絶妙な間隔で止めてあって、少しでもしくじれば車ごと崖下に落ちてしまうという状況です。
後ろから金沢が車で追いかけてきたのを見て、彼はギリギリ通れるかどうかの道をゆっくり通って逃げようとし、自ら崖から落ちてしまうのでした。
法律上は、彼が勝手に崖から落ちただけの事故です。金沢は何ら罰せられることはありませんでした。金沢も自分のパートナーがやられたことをそのままやり返す、という同害報復の経験者でした。
しかし、たとえ法律で罰せられなくても自分が罪人であることを金沢は誰より分かっています。
愛ゆえの報復でしたが、自分の罪を赦せない金沢は警察官を辞職し、自首して罪を贖う道を選ぶのでした。
感想
東野圭吾さんの作品と云うと、愛する人を失った喪失感に耐えられず復讐に走る主人公という作品がよく見られますが、復讐を完遂しても結局喪失感は埋まらず、『二度と会えなくなるならどうしてできるだけ優しくしなかったのだろう』と松任谷由実さんの『リフレインが叫んでる』の歌を援用する内省の結論に至っている思想の作品は初めて観た気がしました。(↓作中流れるのですが泣きました)
人間誰しも弱いもので、自分が耐えられない受け入れられないレベルの不幸に襲われると、どうしても誰かの、あるいは何かのせいにしないと生きていけないことがあります。
本作の安田さん演じる金沢も路上駐車の彼を許せず、完全犯罪の形で殺してしまいますが、あらゆる偶然が重なった結果の不幸な事故だったことを考えると、運命的なものを感じてしまいます。
法律的に考えると、刑法38条1項に『罪を犯す意思がない行為は、罰しない』とあります。
つまり、路上駐車の彼は、その行いによってどんな重大な結果を招いたとしても、重い罪で処罰するのは不可能です(違法駐車の罰金にはなりますが)。
一方で、完全犯罪で彼を自ら命を落とすように追い込んだ金沢は、自ら告白しない限りバレないとしても故意に仕向けて実際に命を奪った以上、殺人罪で裁かれます(未必の故意というやつですね)。
東名高速夫婦死亡事故について
本作の感想を書こうとすると、どうしても避けて通れないように思えるのが、石橋和歩受刑者が起こした『東名高速夫婦死亡事故』です。
本件は7年前、2017年に中井PAでトラブルになり、その後激高した被告人が被害者一家の車を執拗に追跡し、あおり運転等の妨害行為を繰り返したのち、高速道路上にも関わらず前方に強引に割り込んで停車させて暴行を加え、その間にトラックに追突されて被害者夫婦が亡くなってしまったという痛ましい事件です。
本件も当初は加害男性である石橋受刑者の車は停車していたため、法律の原理原則を考えると危険運転致死罪の適用は難しいと考えられ、被害者遺族は泣き寝入り濃厚の事例でした。
しかし、あまりにも悪質かつ甚大な被害結果を生んだ犯罪行為なため、検察は世論の支持による社会正義を裁判官が汲むと信じて危険運転致死罪で起訴しました。
危険運転致死罪での立件に失敗した場合、自動車運転過失致死罪(7年以下の懲役または禁錮、100万円以下の罰金)にすら問えなくなるので、検察にとっては賭けでしたが一審では危険運転致死罪が認められ、石橋被告(当時)には懲役18年の判決が下されました。
これは裁判所の英断と評価できますが、今度やむを得ない事情で高速道路上の追い越し車線に車が停車し、後ろの車も停車して後続車に追突されて亡くなったという事例が発生した場合に、停車した車の運転手が危険運転致死罪に問われないと法律の均衡が崩れるという問題が発生しかねない状況になりました。
そこで、2020年に危険運転致死傷罪の改正が行われました。
5号、6号が石橋受刑者の事件の影響で新設されました。これで先の不安は解消されたことになります。
また石橋受刑者は1審・2審で有罪判決をうけたにも関わらず、2022年に横浜地方裁判所に差戻されて裁判をやり直しています。これはやはり、危険運転致死罪の条文にあおり運転の規定がないにも関わらず、危険運転致死罪の適用を認めたことに法的に重大な違法行為があったと認められたからなのです。(↓興味がある方は詳細は下記の動画をご覧ください)
石橋受刑者は差戻の2審でも懲役18年の判決が下され、現在は最高裁に上告中です。
石橋受刑者はまったく反省していないようですが、彼がそういう人格になってしまったのは壮絶なイジメ経験と家庭環境が関係しているようです。
おわりに
先のドラマでも実際の事件でも言えることですが、自分のほんのささいな感情の乱れや非常識が他人の命を奪ってしまう重大事故を起こしてしまうのが自動車の恐ろしいところです。
また、仮に法律上不可罰になったとしても、当然ながら被害者遺族の傷や憎しみ恨みが消えるわけではありません。
だからこそ、車の運転はもちろん、何事にしても他人の命や人生を左右してしまうことを認識し、誠実に生きていかなければならないと深く深く自戒させられる作品でした。
それなりに長く書いてしまいました。。お読みいただきありがとうございました。