上橋菜穂子「獣の奏者」「精霊の守り人」から考える王家のルーツと歴史の隠蔽
前回までの三部作で、わたくしの好きな作家やクリエーターを数名取り上げさせていただきました。そして、勝手に論評させていただきました。(ほんのちょっとだけの作家もいますが。)
取り上げさせていただいたのは、伊藤計劃「虐殺器官」、村上龍「愛と幻想のファシズム」、宮崎駿「風の谷のナウシカ」「未来少年コナン」、庵野秀明「新世紀エヴァンゲリオン」です。それから、「攻殻機動隊」もちょっとだけ。世界が「攻殻機動隊」に近づいているという意味で、取り上げました。
とても素晴らしいと思うのは、難しい哲学的な議論や、科学的な議論の内容を知らない方々にも、とても分かりやすい形で、学界でやっている議論のポイント、エッセンスを伝えてくれている事です。
ちょっとちがいますね。学界というと彼らの功績を矮小化してしまう気がします。学界でやってる仔細な議論をわかりやすい形で小説やアニメにしてくれているのではないです。
彼らが扱っているテーマは、人間の生存という観点において、極めて本質的で、重要なテーマである点で共通しています。ですので、学界とか、くだらない垣根を越えて、本来、学の分野を超えて議論しなけばならないことを彼らが先取りして私たちの前に議案として提示してくれているのだと思います。(「攻殻機動隊」などは、アニメが逆に科学者に示唆を与えている部分もあるようです。)
わたしは、この社会を変えて行けるのは、難しいことをかみ砕いて伝えることが出来る人だと思っています。それゆえ、とりわけ、こういう作品を描ける作家やクリエーターは素晴らしいと思います。(難しい議論も大事ですが、結局、一般にちゃんと問題を認識して理解してもらわないと全く意味がないんですから。)あとは、私たち一般人が、ちゃんと議案として受け取れるようにすることでしょう。エンタメだと思ってその時だけ消化して楽しむのではなくて、メッセージを素直に受け取ることです。メディアも、作品の社会性をそぎ落とさずに、メッセージをちゃんと社会に伝えることです。
さて、素晴らしい作家さん、上橋菜穂子さんの事を語ってゆきたいと思います。庵野秀明の次といえばこの方でしょう。次というか、同時代の方々です。両者それぞれ違った角度から卓越した技量で素晴らしい作品を描き出しています。
庵野秀明論は二つ前の記事で語りました。
彼は、作品に世界の構造や敵を明確に描き込みました。ちょっとエンタメ要素も多いので気が付かない人も多いかも知れませんが、村上龍が描いた「幻想のファシズム」という意味での「巨大資本」、それからネットワークを含めたコンピュータ科学やクローン技術やら「現代科学」が作品のテーマでした。現代科学は宮崎駿の「風の谷のナウシカ」の趣旨を踏襲したものでしたね。主人公たちは、幻想をもたらし、最後には自ら幻想を終わらせようと企む敵と対峙しますが、結局はその幻想の構成要素であったことに気がついてゆく・・
一方、上橋菜穂子の作品では、敵味方が明確に描かれていません。これは重要なポイントだと思います。「獣の奏者」や「精霊の守り人」など、彼女の作品には、基本的に、敵味方の構図がありません。一応、対立構造はあるのですが、対立する者同士それぞれに理由があり、それぞれが戦う理由を、人間本来の性(社会や国家の性)として描き出しています。※タイトル詐欺で申し訳ありません。作品の細かなところには踏み込みません。
ですので、心理描写が非常に上手です。逆に言うと、心理描写が上手いからこそ、成立する作品でもあるような気がします。
上橋菜穂子を語ろうと思ったのですが、その心理描写を一つ一つ語ることもできないので、実際多く語ることができません。
それだけ、シンプルに凄い人です。シンプルに、それぞれの立場で、人間を描き出しています。
宮崎駿によく似ていると思います。宮崎駿の作品は、比較的対立構造が明確な初期三部作(ナウシカ、ラピュタ、もののけ姫)についても、敵味方があまり明確に描かれていません。
そうです。宮崎駿によく似ていると思います。
実は、多く語ることができないというのは嘘です。
語りたいことは滅茶苦茶あります。でも短めにします。
宮崎駿・上橋菜穂子と庵野秀明では力点が異なっています。庵野秀明は村上龍の「愛と幻想のファシズム」から発想を得て、金融システム・現実の資本主義社会を舞台にしているため、敵が明確に描かれています。一方、宮崎駿・上橋菜穂子は、設定が現実世界ではないので、貨幣経済面にはあまり力点を置かずに、別の部分に力点が置かれています。
わたくし、宮崎駿が伝えたかったことで、伝えられてないことがあることを過去記事にしましたが、その伝えられてない事というのが、歴史の隠蔽でした。宮崎駿は、「科学文明の崩壊」を主軸にした作品の中に、隠された日本の古代史の真実も描き込もうとしました。だからニギハヤヒをナウシカとして描いたんですね。
一方で、上橋菜穂子は、まさに、「歴史の隠蔽」を主軸にして作品を描いています。彼女は思いっきり歴史の隠蔽を作品のテーマに据えているのです。そして、作品の中で、対立する人々の人間性や宿命、対立する国家の理屈を描き出しています。歴史の隠蔽を作品の主軸にしているという意味で、とても踏み込んだ作家さんだと思います。
歴史の隠蔽を作品のテーマにしているからこそ、逆に、日本的な要素は極力排除し、外から文句を言われないようにしているのだと思います。完全に私の解釈ですが、結局のところ、日本の歴史の隠蔽されている部分が気になるんだろうと思います。だって、みんなそうです。宮崎駿もすごく気になっていたわけです。分かっている人はそこが気になって仕方ない。でも、もっと多くの人々に気になってもらわなければ、声を上げれず、解決できない問題でもあります。
ということで、ここから先は私が別で書いた記事を引用させていただきます。
(引用開始)
王家のルーツと歴史の隠蔽
さて、ここまで、天孫降臨などの神話の話も含め、明治期以降、東大や政府が日本人が朝鮮人だと主張してきたこと(日鮮同祖論)を述べてきました。それに加え、ここ最近の国際調査団や東大による民俗学的、科学的調査によっても日本人が朝鮮人らしいことがわかってきました。天皇家のルーツや本来の神道の神である「韓神」との関係、そして、日韓の王族が親戚どうしであることも無視できない重要なポイントです。そもそも、今上上皇陛下は天皇家に百済系の血が入っていることを隠していません。
今上上皇陛下は、まずは日韓お互いに正確に事実を知ることが大切だと言っています。下に引用した文章は全部読んでください。素晴らしい文章です。
でも、なぜか朝鮮人だと言われるのが嫌な人が多いのです。
だから宮崎駿はナウシカやラピュタ、もののけ姫を描いたのではないかと思います。歴史の隠蔽はやめましょうってことです。だって、私たちどう考えても朝鮮人ですよ。(本土人は特に)
もののけ姫に込められたメッセージは具体的でしたね。縄文人(サン)もアイヌ人(アシタカ)も朝鮮人(エボシ)も、共に生きてゆこうと。
おそらく、宮崎駿はもののけ姫で具体的にしたようなメッセージを最初から心に持っていたんだと思います。でも、ナウシカやラピュタにはそれほど具体的に描き込まなかった。
石原慎太郎が晩年の大江健三郎の作品に対し、説明的すぎるとどこかで評価しているのを見た記憶があります。実際どうなのかはともかく、人間は年を取るとメッセージを具体的に作品に込めたくなるものです。私の好きな村上龍もそうです。年を取ると、より具体的にメッセージを伝えたくなる。それは決して悪い事ではありませんが、やはり文学にしろファンタジーにしろ、物語として書けるのは若い時代なんだろうと思います。
翻って考えると、やはりナウシカやラピュタにもメッセージ性が込められていたが、それは宮崎駿の若さゆえに、作品の中に上手く隠れていたんだろうと思います。もののけ姫も嫌いではないのですが、少し説明的ですよね。でも、もののけ姫によってナウシカやラピュタにもメッセージ性があったのだと気づかされる。だから、もののけ姫は必要な作品だった。ナウシカやラピュタの物語性は作品としてとびぬけていますが、その物語性のすばらしさをもののけ姫が後から補強したんですね。というのが私の勝手な評論。
ファンタジーは若いからこそ書ける文学だと思うので、ラノベなどという分野があることは少し残念です(わからなくもない作品も多いですが)。しかも、ロードス島戦記なんていう大作がラノベ扱いというんは酷いですね。
ロードス島戦記で思い出しましたが、日本に指輪物語やゲド戦記という作品が大好きな素晴らしい作家がいます。上でも紹介しましたが、上橋菜穂子です。
宮崎駿と同じような視点でファンタジー作品を書いているのが上橋菜穂子です。彼女の作品がとても面白いのは、歴史の隠蔽が、王族やその体制を守るためという視点でハッキリと描かれている事です。歴史の隠蔽が作品に描き込まれている点は宮崎駿と同じなのですが、歴史の隠蔽自体を作品のテーマに据えているので、ファンタジーとしてはかなり踏み込んでいます。隠蔽しようとする者(王家)までを作品の中に書き込んでいます。彼女は児童文学作家と呼ばれていますが、彼女自身は文学と児童文学が分けられることを嫌っています。私も同意見で、分けることにほとんど意味はないと思います。だって彼女の作品はいわゆる大人向けの文学作品よりも、体制を問うという意味でより文学的です。歴史修正に対する批判作品なのです。
下にご紹介する二冊は、作品のテーマが為政者による歴史の隠蔽です。その隠ぺいのせいで逆に国家が危機に陥るという物語です。隠蔽された歴史の謎を暴きながら主人公たちが最後には、、、。面白いので是非読んでみてください。ちなみに、他にも「鹿の王」という素晴らしい作品がありまして、今年映画上映されました。是非見ていただきたい。テーマが凄いのです。
精霊の守り人と獣の奏者もアニメになっていて、アニメも面白いです。オッサンが見ても面白かったです。
為政者にとって都合の悪い歴史は隠蔽されるんですね。だから日本の古代史も隠蔽されてることが沢山。でも、わたし、島国の日本だからこそ同じ民族である朝鮮人との深い歴史は隠蔽するべきじゃないと思います。少なくとも、いがみ合うような方向に隠蔽すべきじゃないと思います。そもそも、嘘の歴史なんて知りたくない。この国の起源や王の素性が偽りだったとしたら、それはとても悲しい事だと思います。
上でも言及しましたが、今上上皇陛下は隠していらっしゃいません。それは平和を希求されてのことだと思います。歴史を修正してまでして、なぜ同じ民族がいがみ合わねばならないのでしょうか。
それから、三笠宮崇仁親王。別名、赤い宮様。戦中から侵略に反対だった方です。東大で学ばれた歴史学者でもあります(研究生)。専門はアナトリア(小アジア)考古学。この流れで取り上げないわけにはいかない重要な人物です。非常に重要な発言をされておられますので、以下、引用します。
ウィキペディアには三笠宮崇仁親王の重要な著書「日本のあけぼの」項目がありませんでした。
下にこの書籍で語られた有名な言葉を引用します。
資源のない島国は隣国と仲良くすべき
なぜ、いがみ合うような方向に隠蔽すべきじゃないのか?
まず、この方を知っていますか?ジャレド・ダイアモンド。
知らない人は知ってください。わりと有名です。
彼の著書「銃・病原菌・鉄」は西欧の近代文明を評価する上で重要です。反西欧主義というか、西欧主義・科学主義の傲慢さについて面白い視点から語られています。お勧めです。
特に、日本という国を考える上で重要です。文明崩壊という視点から、とても教訓を得られるからです。現代にも通じる視点です。
ウィキペディアからで恐縮ですが次のようなことを言っています。他にも重要な示唆は沢山あります。読んでみてください。
日本はフッ化水素戦争で韓国に戦争を仕掛けましたが、あのような事をして政治家の評価が上がることがまずおかしいです(経済界は大変な被害を被った)。そもそもフッ化水素の原料である蛍石ですが、日本は輸入しなければ手に入れられないのです。やってることがおかしすぎる。半導体の産業構造を知っていれば普通は絶対にやらないような事です。それだけ相互依存関係が出来ていたのにぶち壊した。
下の記事はかなり話題となった記事です。(本題と関係ないですが興味があれば読んでみてください。湯之上氏はこの分野のエキスパート)
結果起きたことは半導体不足、BEVの将来にわたる電池不足です(韓国に巨大サプライヤーがいくつかあるため)。熊本にTSMCを誘致するのも戦争に負けたせいなのに隠蔽されています。それどころか、誘致に成功したみたいな記事ばかりなんです。本当にびっくりします。ワクチンの大変な薬害もそのうち政府の大成功みたいな記事にアクロバティックに改変されるでしょう。
不足は状況は政権が代わって徐々に解消されつつありますが、まだまだ大きな足かせとなっています。
ジャレド・ダイアモンドの言った文明崩壊は、経済崩壊と言い換えても良いと思います。助けてくれるところがなければ、文明は簡単に崩壊してしまいます。
日本を理屈抜きで、利害抜きで助けてくれる国はどこでしょう?
アメリカですか?ロシア?中国?韓国?
私は韓国だと思います。義理人情に厚い儒教の国でもありますし、同じ民族だからです。結局、アジア人、中でも韓国人は日本人と感覚がよく似ています(同じ民族なので当然ですが)。
(引用終わり)
上橋菜穂子の作品は、最終的に隠蔽された歴史を解き明かしていくことで、危機を免れ、平和が保たれるというストーリーが多いですよね。
隠蔽しちゃだめだよって言ってるわけです。特に、それで悲しむ人たちが出てきてしまうなら。私もこれに賛成です。
為政者によってゆがめられた歴史が、いつしか正しい歴史だと伝わり、それによっていがみ合う国同士があり、そのはざまで虐げられる人々がいる。でも、歴史を紐解けば、その二つの国は決していがみ合うべき国ではなかった。
仮にそういうことがあるとするなら、いがみ合うのではなく、むしろ協調することによって、平和を保つことが出来る、ということはあると思います。
ちなみに、芥川龍之介の「桃太郎」も隠された歴史を世間に伝えようとして書かれた作品でした。当時明治政府が進める歴史の隠蔽事業・国家神道を創って国民国家を建設する流れに真っ向から反発して書かれた作品でもありました。ただし、背景を知らず、作品を読んだだけではその意味は分かりません。
クロード・モネの絵画「日の出」がそうであったように、一見シンプルな構図の作品の中に、とてつもなく深い意味が込められているということはあるわけです。私は、上橋菜穂子の作品には、それくらい体制に対する強い思いが込められていると思っています。ただ、そんな話、どこからも聞こえてこないので、この記事で私の思ってることを書き連ねてみました。
以上です。
あとがき
酔っぱらっていますので、誤字脱字やおかしな日本語はまたそのうち直します。記事の途中からかなりの部分を占める引用は下のリンクの記事からです。
この記事は、宮崎駿のメッセージがちゃんと世間に伝わってない!ということを伝えるために書いた記事ですが、宮崎駿論として書いたわけではありません。寄り道が多く、かなり長くなってしまって、まだ書き終えていません。
それで、この記事の中で、上橋菜穂子さんについて書いたところが、思いのほか上手く書けてるなと思いまして、彼女のところだけ切り抜いて今回記事にしました。
この方はもっともっと世に広める必要があります。(もうかなり有名ですが)
それから、もっと世に広めると同時に、彼女が何を言いたいのか、大っぴらには言えてないことを私が独断と偏見で言葉にしてみました。
ただ、これはわたしが勝手に思い込んでいる可能性も多分にあります。
2022.10.8