何故社会に出てから苦しむグレーゾーン
こんにちは。
先日、友人と駅でばったり会いました。
ご主人と2人でこれから孫に会いにいく途中だそうです。
子供が2人いて子供達は結婚して孫がいる、そんな典型的な人生を送っている彼女。
決して、そんな彼女が羨ましいわけではない。
決して息子にそんな典型的な人生を送ってほしいわけでもない。
決して孫の顔を見たいわけでもない。
ただ、APDとASDグレーゾーンを持っている息子に、息子にとっての楽しみを見つけてほしい。
ただそれだけ。
今は、何をやっても駄目だ、どこに行ってもこの苦しさからは逃れられないと言っている。半ば人生を諦めているかのようだ。
今は、とても脳と体が疲れるから、仲が良い友達の誘いも断っているらしい。
好きな漫画も読んでいないらしい。
そんな大袈裟なものではなくていいんだ。
楽しみを見つけてほしい。
得意を見つけてほしい。
その為には、多少のエネルギーが必要。
そのエネルギーを蓄える為に、現状から逃げてもいいんだよ。
私もHSPなので日頃から生きづらさは感じている。
しかし、noteで教えてくれたASDの世界。
それにはとても感謝している。
その生きづらさは私の想像を遥かに超えていた。
息子はこんな事を言っていた。
・コミュニケーションがものすごく疲れる。
・わからない事を人に聞くという行為がわからない、わからなかったら自分で調べる。
その為仕事が遅くなる事がある
・雑談ができない
・人の感情を理解するのが困難
そういえば、昔から論文は読めるが、小説は読めないと言っていた。
それにしても、昭和の頃にはわからなかった事(わかっていたけど表立ってなかったとも言える)が、せっかく研究がすすんでわかってきたのに、社会がそれについていけないようだ。
情報は発信されているのに、困っていない人にはその情報は届かないので知らないままになってしまう。
知っても受け入れを拒む人がいる。
私も自分がHSPである事と息子がAPDやASDであるとわかったから、それらについて知りたいと思ったのだから。
多様性多様性と連呼されているけど、多様性とは何か、受け入れるとはどういう事か、そこから考えていかなければならないと思う。
想像力の欠如かな。
それとも社会に余裕がないのかな。
子供の頃から、多様性とは何か、そしてそれらを認める教育が必要なのかな。
まだ成熟してないこの未熟な社会で、特性を持って生きていかねばならない。
左端に男性、右端に女性という点があって、その点と点をつないだ1本の線があったら、私はどの辺りにいるのかな。
いや、1本の線ではなくて蜘蛛の巣のようなものかもしれない。
気になるところ、感じ方、惹かれるもの、疲れ方、皆んな違うし普通の基準なんてないと思う。
枠にはめない。
出っ張ってもいいじゃん。
枠にはまらなかったからと排除しない。
私はそう思う。
微力ながら、成熟した社会になるように私が体験した事や感じた事を発信していこうと思う。
今日、男性2人が電車に乗ってきて疲れたように椅子にドカンと座った。
すると、『皆んないい人で良かったね〜』『いや〜良かった良かった』『この繋がりを大切にしないとな』と言い合っていた。
なんだか、こっちまで『良かったね』と嬉しくなった。
息子には少しでも安心できる居場所を見つけてほしい。
ただそれだけ。