吉野ヶ里線文字を天体図として見る
ヨーロッパなどへ旅行すると,現地の人に「サインは漢字で書いてもらえないか」と頼まれることがあります。棒を気ままに交差させたようにしか見えない奇っ怪な記号を,難なく書いてしまう様子が興味深く映るようです。世界中の言語の中で最も複雑怪奇な,謎に満ちた呪文のような記号を解する現代の日本人が,3世紀日本の石棺文字を指して作業台の傷,やみくもな呪詛といった旧石器レベルの文化として切り捨てる安易な姿勢は戒めなければなりません。
先日,クシャーナ朝で使われていた文字が,1960年の発見以来ようやく解読されたとの報がありました。バクトリア語の対訳テキストに書かれていた王の名が判明したことから解読へ至ったということで,対訳することで文字列の分析が進み,個々の文字の発音も明らかになっていきました。クシャーナ朝は1~3世紀にかけて中央アジアからインド北部に栄えたイラン系の帝国で,ちょうど邪馬台国と同じ時期にアジアの国が文字文化を残していた点に希望が見いだされます。下図が解読の引き金となった語句ですが,どうでしょう。吉野ヶ里の線文字にも十分希望の光が見えてきます。この,草の芽が生えてきたような乱雑な配置の記号が「王の中の王」を意味します。古代九州の場合,対訳の手がかりとなるテキストは「魏志倭人伝」や「日本書紀」ということになります。
さて,下図はb板を逆版にして本来の右側を上にして見たものです。前回「卑」の字に似ているのではと思った右端の箇所は,裏返しても印象は強まりませんでした。しかし,黄線で囲んだ①はそのまとまり方が文字列らしさを増しています。そして末尾の②は結語の役割に思えます。依然として漢字の姿は見えてきませんが,ベトナム語を表記するために漢字を応用してつくられたチュノムのような変異種に,中国語のピンインのようなつなぎの表音文字が混在しているのかもしれない,といったさまざまな可能性を念頭にこれからながめていきます。
ここからはいったん話題が迂回しますが,先日NHKで紹介されていた天文図の可能性も探ってみます。下図は裏返していないb板,c板を上下逆さに見たもので,③に「夏の大三角形」(こと座・わし座・はくちょう座の主要星を結んだ線),④にペガスス座,⑤にカシオペヤ座が見える,それは星座に詳しい者には一目瞭然であるという分析でした。キトラ古墳の場合は同心円が描かれていたので一目で天文図と判断できましたが,この場合どうでしょう。星座と見る場合,最も大きな×に-が付記されており,これを夏の大三角形の基点としてとらえることはできるかもしれません。
しかし,古代人が星座の形を天空に見いだしたのは,特定の星がとりわけ明るく見えたからであって,その他の星とのサイズ感がまちまちで主要星を大きく描かない点,×だけでなく別種の記号である十(長十字)も含めているに疑問を抱きました。あらゆるランダムな記号の配置の中に,天文愛好家なら星座の形を見いだすであろうという印象です。しかし,下方の⑥の流れは地上から天空へ何かが上っていく動きを描いているようにも見えます。すると地上に描かれている⑦群は建築物や土地の様子などを表していることになります。地上に伏せていたものが舞い上がり,大空へ飛翔していくような動きです。なお,赤線でなぞった形状は鳥が飛翔している姿に見えます。夜間に飛び回る鳥はあまりいないのではないかと思うので,これは星座とは別の視点として記しておきます。
これまで弥生時代の巫女が行っていた占いの手法として推測されていたのは,焼いた骨や銅鏡の光ですが,これに星の運行が加わるとしたら魅力ある説です。石棺には副葬品がなかったこともあり,この石棺の主は占いの一部を担当する補佐官のような女性だったという仮説も浮かび上がってくるでしょう。ちなみに図のような形に夏の大三角形が配置されるのは,11月の西の空ということなので,被葬者が没した月が表現されているのかもしれません。
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