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5月の京都~大念仏狂言三昧の日~

ゴールデンウイークも終わり、夏の気配が近づいてきました。
明日は葵祭路頭の儀がおこなわれ、緑が鮮やかな季節です。
 
今回は5月2日、京都に伝わる2つの大念仏狂言だいねんぶつきょうげんを見てきた様子をお伝えします。
 
京都には、三大念仏狂言と呼ばれる「壬生大念仏狂言」「嵯峨大念仏狂言」「千本ゑんま堂大念仏狂言」が伝えられています。壬生みぶ狂言は4月29日~5月5日まで、千本ゑんま堂狂言は5月1日~4日までが公演期間なので、5月の初めはそれらを“はしご”できる良い機会です。

大念仏狂言とは

「大念仏狂言」の起源は、平安時代の天台宗の僧侶、良忍上人がはじめた融通念仏(念仏中心の仏教)の教えを広めるためおこなわれた「大念仏会だいねんぶつえ」です。壬生寺や清凉寺といった人々が多く集まる寺院はその布教の拠点であり、人々が念仏をとなえる「大念仏会」が催されていました。この大念仏会が次第に、庶民の娯楽・芸能として発展し、能や狂言が取り入れられ、現在のかたちになります。
身振り手振りをまじえて演じられますが、能や狂言との大きな違いとして、演者全員が面をつけるという特徴があります。

壬生寺へ

昼下がり、新選組ゆかりの地としても有名な壬生寺へ。
壬生狂言の始まりは毎日必ず「炮烙割ほうらくわり」から。舞台から大量の炮烙が落下するシーンはよくメディアで取り上げられます。
この日は「炮烙割」、「花盗人」、「ぬえ」、「酒蔵金蔵」、「餓鬼相撲」の五番が演じられました。なかでも「鵺」は狂言堂に縄を張り、鵺がその上を這って現れるという他にはない演出で観客の皆さんから驚きの声があがりました。

壬生寺

千本ゑんま堂へ

夕刻からのゑんま堂狂言を見るために、船岡山の南にある、引接寺(千本ゑんま堂)へ。壬生寺からは千本通りをまっすぐ北へ4キロほど。昔懐かしい商店街の中にあるお寺です。
 
今回は、千本ゑんま堂大念仏狂言保存会の復興後50回目の公演を記念して、右京区の清凉寺(嵯峨釈迦堂)を拠点に活動している嵯峨大念仏狂言保存会とのスペシャルコラボレーションです。
ゑんま堂狂言は、昭和に一時衰退・中断し、さらに1974年狂言堂が焼失してしまいました。しかし狂言の面は焼失を免れており、それを機に保存会が結成され現在まで継承されています。

ゑんま堂外観(2023年秋撮影)

嵯峨狂言も含め、大念仏狂言のほとんどは無言劇ですが、ゑんま堂狂言は多くの演目にセリフがあることがその特徴。演目はゑんま堂が「鬼の念仏」と「土蜘蛛」、嵯峨も「土蜘蛛」と土蜘蛛の演目が続けられました。
公演終了後は特別に、ゑんま堂の土蜘蛛と嵯峨の土蜘蛛が同じ舞台に上がり、蜘蛛の糸を撒くという演出もありました。

ゑんま堂の「鬼の念仏」
ゑんま堂と嵯峨の土蜘蛛の共演

1日で壬生、千本ゑんま堂、嵯峨と京都の三大念仏狂言を観覧できた特別な日になりました。


(壬生は撮影が禁止されていました。ゑんま堂の写真は転載をご遠慮ください)


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