僕のことEpisode2
前回の続き→https://note.com/tender_jacana259/n/ndf304942dd09
自分の意見や考え、行動の意図をなど目的を相手にわかってもらうことは大事だ。
目的を達成するために自分一人ではできないことが多い。
「調略」はかりごとをめぐらすこと。もくろみ。たくらみ(コトバンクより)
時代劇でよく耳にする言葉ですが、意味を調べると印象よくないですねw
ただ、あの時から今も仕事上かかせない行動で、皆も無意識にやっていることでもあると思います。
僕の調略は人が不快な思いや傷つかないために納得してもらえるために使用しています。
介護の仕事において、同僚や多職種、利用者と関わるうえでも調略はかかせません。
そのころより次第に介護人生の将来性を考えるようになりました。
老健でのいわば下積みを経て、転職を決意し、ユニット型特養の開設に転職しました。
そこから先・・・絶望が続くこととなるのです。
都内某所の新規開設ユニット型特別養護老人ホームではニットリーダーの役職で、夢で溢れていました。オープン時にはテレビで見たことのある政治家も目にしました。「意外と小さいなw」。お笑い芸人も祝賀行事に来るなど(営業)ワクワクした日々でした。
実際稼働が開始されてからは一筋縄でいかず苦労の連続でした。
結論からいうと、1年程で退職しました。
運営者、管理者の無謀な経営について行けなかった。まるで某北の国・・・
半年でオープニングメンバーの半数が退職、過労が原因と思われる同僚の死など辛い経験がありました。ヒートショックだろうとの事でしたが・・・
プライベートでもパートナーが大病を患い3か月の入院で生死を彷徨う状況でもありました。
今となってはあの地は二度と足を踏み入れたくない場所になりました。
でもみんな必死に頑張っていたと思うし、それも経験として修業の場であったと考えています。
そんな仕事でもプライベートでもズタズタな状況の中起きたのが「熊本地震」。
メンタルが不安定な中、報道される悲惨な現状を見ているうちに、動悸や居ても立っても居られない衝動的な不安が日々襲うようになってきたのです。
後に心療内科で「全般性不安障害」と診断されました。絶望しました。
パートナーの回復を期に環境を変えるため隣県へ引っ越しました。
数か月療養とし、何もしない期間を過ごし(軽い運動や映画を見るなど)その後派遣で老健、パートで訪問入浴を経て再起。
懲りずに新規開設のユニット型老人保健施設へ転職しました。
そこでは今でも公私共に関わりのある大切な友人と出会う事ができました。
案の定、新規施設の洗礼を受け、気づけば周りは派遣社員だらけ。
前職場同様、某北の国のような運営に絶望。
友人らと現施設に転職したのです。
さらに懲りずに新規開設ユニット型特別養護老人ホーム。
不安の中ユニットリーダーとして従事。
やはり大変なことが多く、通勤も時間がかかります。
それでも現在も続けることができている。
これまでとの違いは、運営者、上司、周囲の人間関係。
何より某北の国とは違い意見が通りやすいのです。
転職を繰り返し、市販の履歴書には書ききれません。
しかし、その履歴達はすべて今の自分を形成する貴重な、奇跡的な経験であったと思います。知らない人からしたら信用ならない人だと思われると思う。
でもそこから得た自分の考え、価値観、それらを信じています。
そして今、兼ねてより湧き上がっていた「介護で働く仲間の為に何かしたい」という思いを具現化するため活動するに至ります。
介護の職場でストレスチェックを行いますが、フォローはありますか?
ストレスに対する適切なケア方法を指導受けていますか?
それを発信し、尊い介護職に就く人々の為に力になりたい。
それが今の僕のことです。