スピは大好きだけど、スピリチュアルよりまず自分を信じよう〜行き着く先は決まっている
長年スピ信仰が強かった私が突然こう言えるようになったのは、前回のブログでお話しした「バッグ紛失事件」からだ。(たった1日で変わり身早すぎ!!)
スピリチュアルを信じるより先に自分を信じていれば、何一つ人生に間違いはない、と言うより、そもそも人生に正しいも間違いもないのだ。自分の魂が成長するための事象がだだ、目の前に自動的に起こるだけだから。
もっと言えば、わたしという存在も、「いる」と感じているから出現しているわけで、「いる」という感覚がなければ消滅する。
すべては、「わたし」が自動的に意図することが今、目の前に自動的に出現している。
「昨日のバッグ紛失事件」で、ほんとに悟りを開き始めたのかしら‥?(悟りを軽く捉えすぎ!!)
なんだか「わたしの思考」が、わたしがしているというより、勝手に起こっている感じがするので、そうだとすれば、「わたし」という存在は、すでに万能なのではないか?と思うのだ。
わたしは昔から、どうしようもない窮地に陥いると、完全にそこから思考を離してしまうクセがあった。
どん底の中、心の中にある小さな希望の芽を信じて、ただその芽の存在を、感じるようにしていた。(これもきっと自動的に起きてた)
だから、ひどい人生だったわりに、ここまでヨロヨロと生きてこられたのだと思う。
バッグを失くしたとき、もしスピを学んでいなかったとしても、今までの自分から考察すると、私は多分「今回起きたことは、起きるべくして起きただけじゃん」と、早めに思い至った気がする。
自分で操作できることなんて、人生にはまず存在しないと、小さい頃からうすうす分かっていた。
そして、
実家の家族、との関わり、
これが私の人生において最も大変なものだった。
一時は逃げたい気持ちでいたけど、逃れられない宿命だとつくづく悟る。
わたしが生まれる前に決めてきた人生プログラムなのだろう。
なので、この世に意識を出現させた「わたし」は、自動的に思考が湧き上がる自分をしっかりと信じて、家族問題に立ち向かうという自動的プログラムを、これから発動させることになるのだろう。
スピは確かに私にとって、大事なことを教えてくれた。けれど私がスピをこれまで学んできたことも私が家族問題を乗り越えるために自動的に起きていて、私の人生プログラムに生まれる前にすでに自動セットされていたのだ。
そこを思い出し、どうにも抗えない課題に対して、もう一度平安な心を持つことをブログを通して今出来ていることがさらなる「小さな幸せ」の引き寄せだと噛み締める。(これも自動的)
なので、目の前に繰り広げられる事象はすべて、自動的な思考をする「わたし」が引き起こした「わたし」なのだろう。
とすると、
スピ=わたし あなた=わたし 世界=わたし
宇宙=わたし
つまり、
ワンネス。