MimminHealing
「弓矢の矢」は、後ろにしっかりと大きく引けば引くほど、矢を離した瞬間に、想像もしなかった位にとんでもなくはるか遠く彼方へと、真っ直ぐに、 ビューーンと 飛んで行く。 人生も、それと同じである。 とんでもなく辛い体験をしたということは、弓矢の矢がとんでもない位に後ろに引かれたということで、そののちに人生の転換点、つまり自分にとって最も大切なことに「はっと」気づくような意識の上昇ポイントが現れた瞬間から、それを境に一気に運命の輪が回り出し、見たこともない景色が広がっている
駅前の通りは、もうすぐ15歳になるうちのチワワがこれまで大のお気に入りの散歩道だったけれど、最近はあまり歩けなくなったのでいつしか遠のいてしまっていた。 けれど今日は、パソコンをひたすら叩く私のそばにひっついてエスカルゴのように小さく丸まったまま静かに寝続ける姿を見ているとなんだかとても切なくなり、あまり歩けないことは承知の上で 久しぶりに駅前の散歩道へ出掛けることにした。 いつもの駅前の地下の駐車場に車をとめて、チワワを抱えながら地上へとつながる階段を ゆっくりと登
昔は「本気、努力、一球入魂」みたいな言葉が好きだった。 英語教員時代は「一文入魂」と黒板に書き「言葉には必ず、話す人の魂が宿っているはずだよ。だからもっと、一文一文感情込めて伝えてね。」と生徒に言ってたくらい。 だけど今は、この3つの言葉のうち、「本気」だけを新しい時代へ持って行くことにした。 ただ楽しいことを本気で楽しむだけで、テンションが上がる経験をここ数ヶ月したから。 そして、その経験を通して、思いがけない業種の方たちとの「真の繋がり」ができ、宇宙が人を介して、
私は、「両親」という十字架を背負うことで 「良心」という十字架を再び 左胸に取り戻す 目的を選んで 生まれてきた 時々 良心の声を無視して 行動してしまったとき 「良心の呵責」という感情に 責められたり 抗ったりもした 「良心」と「本能」のコインが あっという間に 裏と表に ひっくり返るみたいに そんな人間らしい「残酷さ」と 向き合いながら 何度も何度も 繰り返し 「良心」という十字架を おぼろげに 胸に抱きながら どこまでも果てしなく ど
授業終了のチャイムが鳴り響くと同時に、段々と大きな渦のように広がっていく騒ぎ声が一つの合図となり、児童たちは互いに顔を嬉しそうに見合わせながら、 一斉に運動場へ飛び出していった。 そんないつもの風景の中、わたしは通常通り窓際の席に一人座っていた。 「書いてもいい?」 わたしのお友達、というかお絵描き仲間である男子が、わたしの自由帳にいつものように「三つ編みをした女の子の絵」を書きに現れた。 彼が描くタッチは、とても力強かった。恐らく2Bの鉛筆を使っていたのだろう。とても太
当時、木でできた滑り台が家の中に置いてあったことをうっすら覚えている。 私は外に出て元気に走る回るタイプの子供ではなかったので、その折りたたみ式の木の滑り台を時々親に頼んで設置してもらい、家の中で一人滑って遊んでいた。 その日も、いつものように室内で滑って楽しんだ後、珍しく家にいた父が滑り台を折り畳んで収納しようとしたまさにその瞬間、わたしの右手の小さな中指がその合間に挟まってしまった。 どくどくと血は流れ、わたしの中指は当時、指の幅の半分くらいまで切れたと小学生の時に母から
少し高い所にある窓の桟によじ登って座り、外をひたすら眺めるのが好きだった。電線に集う小鳥たち、友達の家へと続く小道、隣の家の緑溢れる大きな木……そんな目の前に広がる美しい光景に対してある日変な感覚を覚えた。 「これは自分だけが見てる絵。この絵の外にいるわたしは何?」 わたしという存在を幼な心に否定していたのかもしれない。外気の冷たさにかじかんでいく両手の感覚も遠くなった。 しばらくしてから、わたしが窓の桟から降りると、柔らかい陽射しが背中を優しく包み込んでくれた。その心
愛してもらえないのが 悲しかったから 孤独を抱えていることに 気づいてほしかったから 心と裏腹な態度を取っていることに 気づいてほしかったから 自分と向き合えない弱さを 許してほしかったから 愛を捧げようと無理をして 空回りしていることに 気づいてほしかったから 居場所を求めて揺れている心を 感じてほしかったから 愛されることに ひたすら依存したのは いつまでも依存することで 弱さを認めなくてすんだから だから 愛で繋がっていない誰かと 繋
西洋占星術的に、2023年初夏くらいから、過去生から繋がりのあるご縁が、再び浮上してくる時期となっていましたので、やはり私の周りでも、そのようなご縁に心が揺れたり、そのご縁を通して試練のように感じる出来事がたくさん降りかかってきた方が、昨年多かったように感じます。 今、仕事上で関わっている人、昔からの友人、恋人、あるいはネット上で知り合った人などの中に現在、前世繋がりの方が多数いらっしゃると思いますが、 本当に自分にとって「今後も必要なご縁」と、 今のタイミングで「これ
「ご縁」って、やっぱり最初から用意されているように思う。 ユーミンじゃないけれど、目の前のすべてのことは大切なメッセージで、一つ一つのご縁についての意味を最近深く深く考えるようになった。 「あの人とはこういうご縁かあ」「あの人は私に、本来の私自身の魂の望みに気づかせてくれるために、わざと私の目の前で、自分の魂の望みから180度かけ離れた場所から離れられず苦しんでいることに全く気がつかない姿や、新しい時代の価値観とかなりずれてしまっているけれど、そこを見ないふりをして古いや
私には娘がいる 1歳のとき、インフルエンザにかかり41度を超える高熱を出したので、大急ぎで病院に連れて行った けれど私の心配とは裏腹に、待合室のソファーで娘は、頭をふらふらさせながらも 一本のえんぴつを震える小さな手でしっかりと握りしめ、黙々と紙きれに絵を描き続けた そして名前を呼ばれ、診察室で聴診器を胸に当ててもらっている間も 左手からお気に入りのえんぴつを 決して手放すことはなかった 娘が2歳になる頃には川崎へ引っ越し、私が周囲の環境や人に馴染めず鬱気味になり
「ご両親から受けた強烈なトラウマがまだ残っていますよね」 「‥‥」 「親から愛してもらえなかった悲しみを手放さない限り、自分の人生の舵を取れません。 僕も同じでした。今、ご自身の持っている力を思い出してください。」 「はい」 あるセッションでのやり取りで、 子供時代の親子関係を完全に癒し、自分自身を立て直さなければ 本当の意味で 人を幸せにすることはできない と思い出した だからまず、根本から傷を癒すために 私自身の魂が 心から喜ぶことをして 自分を大
このnote内で、これまでずっと心の中で応援してきた闘病中の方がお亡くなりになったと知り、久しぶりに子供のように泣いた。 でも今頃はきっと天国で、noteで知り合った方々を優しく見守って下さっていると思うから、私も彼女の記事から溢れていた儚げで繊細な優しさや、今をただ懸命に幸せに生きていこうとする芯のある強さに敬意を表し、彼女に恥じないように私の命の時計の一秒一秒を、残された者として全うしなければと決意する。 思い起こせば 「私の大好きな故郷の海のような記事 優しい波の
誰かが呼んでいるけど 聞こえないふりをして 蒼い海岸沿いを歩いている 私の中の 小さな女の子は まだ見たこともないものを すくい上げる 怖さに そっと 目をつむりました 波打ち際に 打ち上げられて 真夏の太陽の下 置いてけぼりになった 一粒の真っ白な 小さな貝は この世界の眩しさに そっと 目を細めました 女の子は 真っ白な砂浜の上で横たわる その貝の 一瞬の 揺るぎない 確かなきらめきに 胸がただ 熱くなりました そして その一瞬 と
「大変遅くなりましたが、出来上がりました。」 以前の職場で出会った方から、私が心待ちにしていた曼荼羅が出来上がりましたと、連絡をいただいた。 私がその方のホロスコープを、全くの素人ながらも鑑定させていただいたそのお礼にと、点描(点だけで描く)という手法で、とても長い時間をかけて書いて下さった。 初めて見た瞬間、想像を超える感動に包まれた。そして、紫の花びらがすぐ目に飛び込んできて、以前クリスタルボウルを習っていた先生に「オーラが紫ですね」と言われた偶然が蘇った。しばらく
今日の朝も、キラキラと輝く新鮮な空気の中、気持ち良く近所をお散歩していたら、昨日スーパーの店内でミニモニの「ジャンケンぴょん」が流れていたのを思い出した。 「美味しい牛乳飲むのだぴょーん」 と歌いながら、どんどんアホになっていくなあ‥と感慨深くなった。 でも 「非論理的になって、どんどんバカなことをしなさい」 とエイブラハムも言っていたなあ‥と、よぎる そして、 「自分を信じて行くのだびょーん」 というフレーズにたどり着いた時、 はっ! とした。 「能天