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目の前に起きていた大切なメッセージ
今日もいつものように介護ホームの朝は始まり、私はおじいちゃんおばあちゃんたちの起床後のケアをした後、せわしなく朝食を提供していた。
そんな中ふと、ビックリするような瞬間を見てしまった。
ダイニングテーブルに先に座っている1人のおじいちゃんの隣に、あるおばあちゃんが座り、その後2人はお互いニコっと微笑み合って、なんと!
とても力強く
「ハイタッチ!」
した。
そこには、なんとも言えない二人の
「強くて優しいエネルギーの交換」
があった。
それを見た瞬間、私は涙が出そうなくらいの嬉しさで深く感動し、じんわりとした温かさがただ、心の中に流れ込んできた。
この瞬間は、永遠になくならない2人のシンフォニー。
生きるってきっと、こういうことなんだろう。
どんな状況にいても、自分の「存在意義」を見い出すこと。
2人はその瞬間、お互いの存在によって強くなれていることを、重なり合って放たれている「オーラ」でしっかりと証明していた。
そのオーラは、離れたところにいた私までも大きく包み込み、広がってきた。
なんと、そのおばあちゃんは、過去ブログで「もう家に帰りたい」と言って、ただひたすら泣いていたおばあちゃんである。
ある時私は、その泣いているおばあちゃんに、
「◯◯さんの、明るいところが好き!」
と言ったことを思い出す。
やっぱりおばあちゃんは、その通りのおばあちゃんだった。
そのハイタッチの一瞬に、2人じゃないと作れない
「力強くて優しい世界」
が確かにあった。
その瞬間を見ることができただけで、幸せ。
そして、2人を心から尊敬した。
私たちは、「心の在り方次第」でいくらでも幸せになれる、と教えてもらった気がする。
そして、
ただ幸せになるために生まれてくる
私たちのために、大切な「今」がある。
だったら、どんな今を生きよう。
私だったら、おじいちゃんおばあちゃんたちみたいに「愛に溢れた瞬間」を選びたい。
なぜなら自分が生まれてきた目的は、「愛を知るため」だと思うから。
私は愛を深く学ぶために、愛のない家庭で育った。そこで凍りつきそうなくらいの寂しさを味わい、それによって、愛が人に与える影響の大きさを実感することになった。
教員の頃は、気がつけば、マザーテレサの名言を英語にしたプリントを作って、授業で扱いテストにも出したりした。
生徒に英語という言葉を通して「愛」について学んでほしかったのと同時に、自分にも言い聞かせていた気がする。
だから、「愛」がテーマでずっと生きてきた私にとって、目の前で繰り広げられた「ハイタッチ」は、
ホットと心が安まる、自分が自分に還る瞬間にもなった。
「人は、誰かがいるから生きる勇気が生まれる」
というメッセージを、目の前で私はしっかり受けとった。
そのメッセージがきっと、今の私に必要だったから。
「私も誰かといつか、ハイタッチしたいな!」
と心から思った。
愛に溢れた人たちを見ることが、こんなに自分にとっても幸せなことだったなんて。
でも私が気がつかなかっただけで、実は毎日の生活の中には、愛がたくさん「ありふれている」。
「愛溢れる幸せ」に常にフォーカスする癖をつけていけば、愛に溢れた人生に変わり、誰かに傷つけられる人生からも卒業できると信じる。
今日は、「ハイタッチ」で繋がり合うことが、一瞬を永遠に変えるシンフォニーを生み出す
というシンプルな答えをもらった。
私はこれまで
「愛とは何か」とか、
「幸せとは何か」
って難しく考えることで、逆に自分で自分の人生を難しくしていたのかもしれない‥
宇宙の真理とか、人生の法則とか色々あるけれど、
単純に「誰かと繋がる喜び」を大切にすれば、
何も考えず、
毎日を無邪気に、子供のように楽しめるはず。
そうすればシンプルに
今目の前で起きていることも、
自分への大切なメッセージと自然に気づいて
心に優しく焼き付けられる
そしてただ
愛に軸を置くようにした
「心の在り方」でいれば
人は
自分の周りに溢れている
たくさんの永遠に気づき、
人生においてたった一つの
なくなることのないものに心安まり、
たとえ命が尽きても終わることのない
優しいシンフォニーを
ずっとずっと奏で続けて
いくのだろう
大切な誰かと一緒に
そんなメッセージを
目の前で見せられていた日だった