みんなで幸せになるにはどうしたらいいんだろう? -経済単元のふりかえり-
はじめに
さて、やっと津屋崎での経済単元(合宿)をふりかえろうと思う。
「経済」と聞くと
きっと、ほとんどの人が洗練された都会を思い浮かべるだろう。
たくさんの人
ごちゃまぜの匂い、音
やたら高いビル(都会は横と縦にまちが広がってる)
だけど
わたしたちは津屋崎で、
「地域のひと」がいる
磯の香り、波の音
広い空
穏やかで、実はにぎやかなまちで、経済について語り合った。
ふりかえると、そのことに自体に、とても意味があったと思う。
みんなでしあわせになるには?
経済=economy の語源は、「共同体のあり方」というニュアンスに近いらしい。
経済って、「わたし」だけじゃなくて、「みんな」でしあわせになるにはどうしたらいいんだろう?っていう問いだったんだなぁ。
なんかさ
「けっきょく自分のためだよね」とか「self loveってわるいことじゃない」とか
「アダム・スミスが~」とかさ
まぁ、それはそうなんだけどね。
他人のためとか自分のためとかっていうよりも
みんなで、を考えるものなんだと思った。
もしかしたら、みんながみんな、ビジネスマンとして経済を考えなくたっていいのかもしれないね。
守りたい価値って?
値段って付加価値でしかない。
商品価値とそのものの価値は違うよね。
生産性はないけど意味はあることもある。
単純に数値化できない
貨幣価値になおせないものもある。
あした、お金にならないものを、なかなか大切にしない世の中
そんな社会に見えるときがある。
わたしたちが価値があると思っていて、大切にしたくて
わたしたちがいなくなっても、後世に残したいもの(こと)って何なのか?
それを真剣に話し合ったことがあるだろうか?
わからないから、考えたことがないから
自分たちの外にある物差しで、自分たちのものを見てしまうんじゃない?
大切にしたいものを、どうしたら大切にできるのか。
悪者って?
わたしが生まれる前。
日本経済が大変な混乱に見舞われた時代があった。
(ずっと、その渦中ではあるのかもしれないけども)
わたしにとっては日本史の現代コーナーで習うようなことでも
そんな社会を生きた人が当然いるわけで
そのときの「こと」をきいた。
経済界のトップ=悪徳とか鬼の所業みたいなイメージがなんとなーくある。
逆に、なんとなくで申し訳ない。
でも、「悪徳社長」とか「鬼」とかわかりやすい悪者は
ほとんどいなくて、社会の構造の中で生きてるただの「ひと」がいて。
物語みたいにわかりやすい悪者っていないんだろうなぁ。
絶対的な正義の味方もいないんだろうなぁ。
だからこそ、みんなで話し合わなきゃいけない。
「そもそも何のためにやってるんだっけ?」
「社会の何の役に立って
だれのしあわせになるんだっけ?」
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