暮らしについて -自然の摂理単元のふりかえり-
復習記事を書くのがすっかり遅くなってしまいました。
講義を受けてから色々なことを考えたけれど
とくに「暮らし」についてずっと考えています。
人間が中心にいるのか?
たいらさんや参加者の方のコメントを聞いていて、色々なことが思い浮かんだ。
それは、どれも「人間が中心にいるのか?」という問いにつながるものだった。
まず1つ目は、カタバミの一枚の葉の上で一生を終えるとても小さな虫の話。
おそらく小学生の頃に知ったことで、聞いたのだったか読んだのだったかは覚えていない。内容もうろ覚え。
アベ・プレヴォーの作品の一節「愛し合う恋人にとっては、宇宙全体が祖国ではないか」も合わせて紹介された気がする。
小さな虫にとっては、この一枚の葉が祖国であり宇宙全体である、と。
忘れてしまっていることも多いけど、たしかに覚えているのは、小さな虫たちは世界のすみっこに生きているわけじゃなくて自分たちの祖国や宇宙を持っていきているんだ、と思ったこと。
2つ目は、「7SEEDS」という田村由美さんの漫画。
ネオ原始地球を舞台にしたSFサバイバルで、「君たちは、はじめ異物だろう。自然を知って、理解して、その中に混ぜてもらいなさい」というセリフがある。
『さいしょは、そうだったんだろうな』と、ただ思った。
いまは、そうじゃないと直観的に思った。
3つ目は、吉野源三郎さんの「君たちはどう生きるか」。
物語の中で主人公のコペルくんは、自分を中心に世界を捉えるか、自分も社会を構成する1人だと捉えるかという考え方の転換点を得た。
自然と人間についても、人間を中心に据えるか、人間も自然を構成する1つだと捉えるかで、環境問題に対する考え方や取り組み方も大きく変わるのではないだろうか。
だから、なんだというのか。
では、どうするのか。
現時点では、あまりいいアイディアが浮かんでいない。
だから、ずっと考え続けています。
暮らしって
暮らしって
とても穏やかでのんびりとした響きだ。
だけど、同時に
その暮らしをつくり、守るのは、とても難しいことだとも思う。
最近、「暮らしの手帖」という雑誌と初代編集長の花森安治さんの言葉を読み漁っている。
とても力強く激しく、温かい。
わたしを叱ってくれている気がする。
暮らしを忘れない人でありたい。
できれば、自分で自分の暮らしをつくれるようになりたい。
それは、ただ単にに生計を立てれるということじゃない。
自然と文化(暮らし)は切り離せない。
日本の古い建物を見ると軒が深いものが多い。
夏の厳しい日差しをふせいだり、雨から建物を守ってくれたりする。
自然へのまなざし、文化芸術へのまなざしは必ずしも対立するわけじゃない。むしろ、この2つのまなざしは、溶け合うはず。
自分の暮らしについて考えることや向き合うことは、この世界で、自分がどう生きていくか考えることなのではないだろうか。
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