御本拝読「不思議カフェNEKOMIMI」村山早紀
大人向けの童話
村山さんの本が出ている間は、まだ世界のどこかにはホッとできる場所がある気がする。そんな感想を、毎回思います。いつも、たっぷりの優しさと村山さんの愛するものたちが詰め込まれたお菓子箱のような小説。今回もとてもキュートで優しいお話でした。
本書は、思いっきりファンタジーです。魔法少女ならぬ、魔法淑女になっちゃった女性のお話。一通り読み終えてからこのことに気づいたとき、改めて「よく煉られた話だな」と感服しました。
主人公は、還暦も見えてきた独身の女性。介護をしてきた親とも既に死別し、静かに衰えてゆく町でひっそりと一人で生きています。長年勤めた印刷会社、櫛の歯が欠けるように去っていく人々、うつろいゆく町と世間、彼女のもとに身を寄せては亡くなっていく猫たち。たくさんのものを見送るようにして、彼女は町に、生まれ育った家に、残り続けてきました。
かと言って、彼女は決して人間嫌いとか、陰鬱な人ではない。私は、正直、昨今の小説の中で一番好きな主人公かもしれません。
猫を愛し、人を愛し、植物や雑貨を愛し、とても愛情深いし優しい女性。紅茶や料理に癒され、自分のことも周りのことも穏やかに受け止められる人。それでいて頑ななところがなく、戸惑いはするものの突拍子もない出来事もどこか楽しめるお茶目な人。この人物造形が、ファンタジーな本書を説得力のあるものにしています。
これがなぜ大人向けかというと、特に各章の序盤で、かなり淡々と人物や出来事への現実が描かれるから。主人公は美女や超能力者でなく、白髪や加齢による不調(+自覚のない病気)にため息をつく、実に一般的な中年女性。高齢の独身で身寄りも頼れる人もなく、衰退していく業界で事務員を数十年続けて……というすぐそこのアパートにでも実際にあるであろう状況。
他の章で出てくる登場人物たちも、なんだか本当にそこのコンビニや学校にいそうなのです。めちゃくちゃな不幸を背負ったり、逆にものすごく恵まれている才色兼備でもない。その「普通」の人たちが、素敵なファンタジーに巻き込まれていくお話。
不快が一切ない
小説では、後半や結末に待つ奇跡や優しさを強調するために、前半や序盤にしばしば不必要なほどに残酷なシーンが出てきます。ひどい目にあった人が救われる・逆転していくカタルシスはよく分かりますが、そのための不愉快なシーンに目をそむけたくなることがたまにあります。
個人的には、料理が粗末にされたり異物が混入されたり、老人や子供が虐げられる展開は辛くて読むのに苦労します。いじめのシーンや、仕事で罵倒されるシーンなども苦手。そういう辛さがないと、優しさや爽快感は表現できないのだろう、とも思っていました。
人物の状況や来し方が辛い、ということと、ギャップを生むためにいたずらに痛めつけられることは意味が違う。けれど、特に現代の小説は、そういう描写が多い気がする。
が、本書は、本当に隅から隅まで村山さんの素敵な魔法がかかっています。そもそもが、「寿命を迎える中年女性に突然猫の魔神が救いの手を差し伸べる」「魔女になって何でもできるようになった女性が、空飛ぶキッチンカーで人助け」というのが主軸ですが、本当に前述の「主人公の人柄」がそのまま活きていて万事おっとりほんわか。
常人ならぬ特殊な人物が人助けをする系のお話では、主人公の押しつけがましさや独善的なところに微かに嫌悪感を感じたりもするのですが、本書はそれが一切ない。主人公の律子さんが、長年「普通の」OLとして介護や仕事をしてきている「人生のベテラン」だからできること。
それぞれのお話に出てくる人ならざる者たちの、純粋でどこか寂しい信念。登場人物すべてが、優しい。それなりの苦労や苦心はあっても、村山さんの優しい掌の上で、慈しまれているのです。
どこかで本当に
本書の読後感がとても爽やかなのも素敵です。まさに、おとぎ話や昔話のように、「むかしむかしあるところに……」で始まって「……だったとさ」で終わるふんわりとした現実との隔絶感。
ひょっとしたら、私たちに見えていないだけで、今もどこかの河原や山の中で、青いキッチンカーがお茶会を開いているかもしれない。そう思わせてくれる気持ちの良い「嘘らしさ」と「あったらいいな」が同居する。
元も子もないことを言うと、本書は始まりからおしまいまで、完璧なファンタジーでフィクション。だけど、「こうあってほしいな」という希望が溢れる小説。
子供の頃、図書室で不思議な魔女のお話やおばけのお話が好きだった元・子どもたちへ。仕事や介護や家事の隙間に、ほっと夢を見られる一冊です。
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