御本拝読「女が死ぬ」松田青子

SFであり叙事詩

 松田青子さんの作品は、不思議だ。多分、心や神経の深い場所から発生していて、しかも怒りや悲しみという高い温度の濃いものに根差しているのだろうに、とても軽やかで淡々としている。文章も使われる単語も簡潔で、全体的にポップ。なのに、読んだ後に自分の心臓の裏側がそわそわするのだ。
 SFの定義は定かではないが、主に掌編のぎっしり詰まった本書の半分ほどはSFと言える気がする。設定が近未来や架空の世界のものもあり、星新一の読み口をもっと斜めに抉ったような。そして、その結末や流れがフィクションであるということが最もSF的である。
 もう一つ、本書を通して感じられるのが、叙事詩である。例えばJポップやアイドルソング、アニメソング等の「歌詞」や万人の涙腺を崩壊させるような恋愛や苦労をテーマにした小説では、「気持ち」がたくさんの言葉で綴られる。ずっと一緒にいたいだの、君が好きだの。それ自体が悪いということではなく、これは叙情詩であり、ロマンティシズムであり、いわば「心の内をさらけ出したようにして人様に見てもらう」様式だ。それが真実か否かは関係ない。
 叙事詩は、単にそこにある事実を並べる。ただ、見えたもの、聞こえたもの、起こったことで構成されている。しかし、そこに書き手の感性や感情が全て表れるのである。
 その人が、何を見て何を思ったのか。そこに並べられた言葉から、何を感じ取るのか。読み手に任される部分が大きい分、その作品の持つ意味や深みも違ってくる。だからこそ、叙事詩は難しいし、味わい深い
 本書には、日常と架空と世界と過去と現在がたくさん詰まっている。その叙事から感じられるものが、おそらく読み手の年齢や精神状態によって何回も変わってくるはずだ。

やわらかい皮肉

 私は、特にフェミニストではない。まあ、自分が女なのだから、どちらかといえば女性の気持ちや状況の方が理解しやすいとは思う。だけど、普段はあまり「女性解放運動!」「女性優遇希望!」みたいな論調に興味がない。諦めきっているということもあるし、日々食べていくのに精いっぱいで、社会の構造や世間の価値観という大きなものに立ち向かう時間も体力もないのだ。
 そもそも、私自身が結婚は失敗するわ就職も失敗して非正規続きだわ家族とは絶縁してるわ子供は産めないわで、私にとって「ふつうの女性」は別に仲間でもないし救われるべき存在とも思っていない。みんな十分恵まれてるし、私も自業自得で底辺にいるんであって憐れんでほしいとも救ってほしいとも思っていない。
 松田さんの作品は、フェミニズムだと言われることがある。これは、確かにそうかもなとも思う。女性が社会や世間で静かに確かに虐げられる風景の描写が多いし、これを読んで不愉快になる成人男性は少なくないかもしれない。しかし、本書のこの面白さを説明するのに、「フェミニズム」という単語では適切ではないと思うのだ。
 ご本人も出産・育児を経験された「女性」である。作中に出てくる「女性特有の待遇を受けるシーン」がやけに生々しくてリアルなのも、おそらくご自身が経験されたのだろう。私にも経験があることが作中にいくつもある。
しかし、そこから生まれる小説は、単なる「女性をもっと大事にしろ」「男女平等」を訴えるものとは少し違う。現実としてこういう状況や事実があって、そこからどうしたい、どうするべき、とも書いていないのだ。むしろ、男女や立場が逆転したところで、その構成員が違うだけのまったく同じ構造や状況になる、ともとれる
 これは、とてもやわらかく優しい皮肉なのではないか。この皮肉が理解できるか、楽しむことができるか、は、個人による。感覚の問題だ。女性であっても「不愉快」と感じる人はいるだろうし、男性でも「そうだよなあ」と共感できる人はいるだろう。
 社会や世間、抵抗する人受け入れている人、上に立つ人下に敷かれる人。そのすべてに向けられた、松田流のやわらかい皮肉。それによって心のどこがどう揺れるかを、私は観察する。その楽しみが、本書の楽しみ方の一つかもしれない。

文庫本の楽しみ

 さて、本書は2016年刊行の「ワイルドフラワーの見えない一年」の改題・文庫版である。あえて文庫版を推すのには理由がある。巻末に、ご本人による作品の一言解説がついているのだ。これが、とても面白かった。たった一行で、腑に落ちたり笑えたりする、文才が炸裂している。このひと言解説があることで、本書は何倍も面白くなる。
 また、改題されたことも影響しているのか、装丁も単行本とは違っている。単行本の、タイトルに沿った表紙も良い。が、こちらの文庫版の表紙もとてもキュートでロックで「イカす」のだ。こういう味わい含めて、本書は完成された「書籍」だ。

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