御本拝読「シャーロック・ホームズとジェレミー・ブレット」モーリーン・ウィテカー
二十年来、私はシャーロッキアン。基本的に正典信者だけど、ここ数年はパスティーシュもパロディもオマージュも楽しめる雑食性。そんな私が本書を一言で言うと、「愛……」の一言に尽きる。読み終わるのが惜しくて、読み終わってもずっと目に入る場所に置いておきたくて、この本は愛の具現化だとすら感じる。それほど、たくさんの愛が詰まった一冊。
おそらく最も有名なホームズ俳優・ジェレミー・ブレットとイギリスのグラナダTV製作のTVドラマ「シャーロック・ホームズの冒険」シリーズの軌跡やエピソードを丁寧に追い綴る。一言で書いてしまうとこれで終わってしまうのだが、本当に全話をちゃんと解説し、たくさん写真も付け(それがまたどれもポストカードやポスターにして飾りたいような素敵な……)、撮影時のエピソードもこれでもかと詰まっている。原書房さんの本気というか、並々ならぬ意気込みを見た。
さて、ホームズといえば冷静で類まれな頭脳を持つ稀代の探偵で、気難しかったり人間味がなかったりという印象のキャラクター。色んな実写化ホームズも、得てしてそれを忠実に再現してきた。その中でも最も正典に近く、というか、正典からそのまま抜け出してきたようなホームズを演じたのが、ジェレミー・ブレットである。容姿もさることながら、表情筋の動き一つや駆ける姿や思案する横顔まで、TV(と舞台)上に正典のホームズを再現して見せた。
私はイギリス人でもなければ演技に詳しい方でもないから勝手に「ジェレミー・ブレット自身もちょっとホームズに似たパーソナリティーなのかな」などと安易に思っていた。当たり前だが、そんなわけがない。むしろ、本来のジェレミー・ブレットはとても陽気で快活、人当たりが良く、あたたかいサービス精神にあふれた人物だった。つまり、どちらかといえばワトソンよりの性格だった。本人も何度も口にしたように「自分とは真逆のキャラクター」を、どうして彼はあれほど完璧に演じきれたのか。
それは、やはり「愛」の一言に尽きる。ホームズ役を引き受けるまでの苦悩も描かれているが、決心してからの彼はとにかく「正典への愛」を惜しまない。なるべく正典に忠実に、できるだけ正典の解釈を曲げないように、脚本や演出と何度も闘っている。それを、「愛」と言わずになんと言えようか。
印象的というか象徴的に思えるのは、ワトソンへの解釈である。単なる鈍いコミックリリーフや引き立て役ではなく、頼りになって時にはホームズよりも煌めくこともある素晴らしい相棒として、ジェレミーはワトソンを位置づける。その結果、正典の持つ緊張感と実写化のエンタメ性がこの上なくマッチして、作品として完成度が高いものが出来上がっている。
少し横道にそれるが、近年雨後の筍のごとく公開・製作される小説や漫画の実写化・アニメ化の作品がコケることが少なくないのは、このあたりが大きいのではないかと私は考えている。それを読んでいるのは最低限の礼儀だとして、深い愛と正しい理解を、関わる人間が持っていなければ成功には至らないのではないだろうか。
閑話休題。とにかく、全編を通して、自身の健康が著しく害されて撮影すらままならない状態になっても、ジェレミー・ブレットは誰よりも正典とこの作品を強く愛していた。だからこそ、「役に入り込む」を越えたレベルで、実在しない人物が憑依でもしたかのように演じきれた。
そんなジェレミーは、本当に愛溢れるお茶目であたたかい人物であったことが、彼の共演者や関係者からのコメントで明らかにされる。ドラマの中のホームズしか知らない私には想像がつかないのだが、常に共演者やスタッフに気を配り、みんなを労わり、場の空気を良くし、心地よい現場であるように明るく優しく振舞うジェレミー。これが彼の本質であるなら、真逆の性質であるホームズをあれだけ長期間演じることはどれだけ大変だったことか。
そして、そんなジェレミーへの「愛」もたくさん溢れている。ワトソン役の二人はもちろんのこと、各話のゲストで共演した女優俳優陣やスタッフ、プライベートの関係者、全ての人に愛されていたことがよく分かる。そりゃあそうだろう。創作のホームズのカリスマ性をはるかに凌駕して、ジェレミーは人を惹きつける人なのだ。エピソードの一つ一つがかわいらしくて優しく、各々の宝物を手の平に乗せてそっと覗かせてくれているような、そんな圧倒的なハートフルな感覚。
早世してしまったジェレミーのホームズや周りの人たちへの愛、たくさんの人からジェレミーへの愛。そして、そんな一冊を作る人たちの愛。ずっしり重い、愛の一冊。
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