御本拝読「芸術家が愛したスイーツ」山本ゆりこ
スイーツの意味とは
生命を維持するためには、みんな何かを食べないといけません。それは穀物だったり野菜だったりタンパク質だったりを主とする、「食事」です。
一方、「スイーツ」は、なくてもいいもの。むしろ、糖分や油分を含む分、現代人には過剰なカロリー摂取に繋がります。なのに、「スイーツ」は人の心を惹きつけてやみません。
頑張ったご褒美に、心の慰めに、オンからオフへの切り替えに。食事と一緒に、または食事の合間に、私たちはスイーツを欲します。
必要不可欠な食事と、そうではないスイーツとは、何が違うのか。繊細な芸術家たちの愛したスイーツのエピソードを読むと、その答えが分かる気がします。
実は華やかさでなく
みんなが知っている画家、詩人、作家たちの愛したスイーツ。フランスが主な舞台ということもあり、どんなに華麗で豪華なスイーツなのかと思います。が、本書を読むと、どれも意外なほどにその味や素材が素朴そうに見えることが分かります。
そもそもフランス料理というと「高級フレンチ=壮大なフルコース」「世界三大美食」のイメージがありますが、国土も広く歴史も長いフランス。田畑の続く田舎や、普通の人の住む住宅街もたくさんあります。庶民の味が、普通の味。日本人がみんな毎日寿司や懐石料理ばっかり食べてるわけではないように。
例えば、マティスのコンポートやダリのバナナソテーは、今のキッチンでもさっとできそう(果物の鮮度にもよりますが)だし、サブレ、タルトなど、もちろん手のかかってるスイーツもたくさんだが、宿屋のおかみさんや普通のお母さんも十分に作ってくれそうなレシピ。そこには、華やかさや特別感ではなく、日常の中にある小さな宝物のような親しみやすさがありました。
小さな煌めきの光
私のような凡人で貧乏人の平凡な日常生活の中にも、ちょっとした楽しみがあります。それは、新刊だったり新譜だったりもするけれど、それは月に1回あるかないかの頻度だし、その後何度も楽しんだりいろんな形で考察や感動を生むことを考えると「ちょっとした」ではない。
ちゃんとしたパティスリーや和菓子屋さんで、一つ500円以上のケーキやねりきりを厳選して買って帰るのも、それと同じくらいの頻度だと思うと「ちょっとした」とは言えない。
例えば、疲れた帰り道にふらっとスーパーに寄って、パンや豆腐と一緒に買った100円しないくらいの小さなカップのプリン。安売りの洗剤やシャンプーを狙ってドラッグストアに行ったら、レジ横に割引シールが貼られた大福が山積みで、つい一つ。
帰宅後、一人でそれを食べる時、それは小さくてもきらきら光っている。必要不可欠ではない、ある種の余裕を、私は食べているのです。それが、「ちょっとした」。
きっと、芸術家たちは、もっと生活や尊厳について厳しい状況だったのでは。不安定な収入での生活苦、ということもあれば、作品を生み出すという苦しさや、孤独。きっと、彼らにとって、生活すること、生きることは甘くない毎日だったのでしょう。
そんな中で、傍にいてくれるスイーツ。太陽のような派手さや豪華さではなく、そっと心に寄り添ってくれる月のような優しい光。それを味わう時、おそらく彼らの心はしばしホッとすることができたのでは。
まとめ
本書は、スイーツの名店や名品を紹介するガイドブックではありません。一人一人の芸術家の人生を丁寧に追いながら、その生活にささやかでも優しい光をくれたスイーツを描きます。
美味しいもの、ホッとするもの。親しみのある、大好きな味。それが、芸術家たちを支えていたことは、彼らの作品にも顕れています。そうやって、スイーツたちは時を超えて残り続けているのです。
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