自己紹介その5
さて、幼稚園年中編に入ろう。
と、いっても。
実は年少よりも今の私に近いはずの年中だが、記憶はほとんど0だ。
理由は分からない。
無理矢理解釈するなら、私が幼稚園の生活になれたのではないだろうか。
内気な私にとって、初めての幼稚園はとても大変で興奮の連続だったが。
1年以上もいたら流石に慣れる。
毎日の刺激もなくなっていくだろう。
だから、このnoteを書くにあたって、一生懸命年中の記憶を掘り起こした。
そして、一つだけ、明らかに年中の時の記憶で思い出したエピソードがあった。
頑張って思い出すのだから、私にとってあまり意味のある記憶ではないのだろう。
だがせっかくだ。
書いていこうと思う。
年中になる時の大きな変化は、私が兄のクラスに行くことがなくなったことだろう。
どうして行かなくなったのかは覚えていない。先述した通り、幼稚園に慣れたのだろうと思う。
とにかく、私は兄の教室に逃げることもなくなった。
では教室で誰と過ごしていたか。
全く覚えていない。
そもそも友達がいたのだろうか。
そんな記憶すらない。
一つ学年が上がった年長の時にはとても仲の良い友達がいたことを覚えている。
私と同じ団地に住む子で、幼稚園で過ごす時も帰ってからもずっと一緒に遊んだことを覚えている。
だが、その子はその時は別のクラスだった。
では本当に誰と過ごしていたのだろう。
全く記憶が欠落している。
本当に通っていたのか怪しいぐらい、記憶がない。
そんな中。
一つだけ覚えているというか、思い出した記憶がある。
季節も分からない。
年中最初のイベントだったかもしれないし、年中最後の出来事だったかもしれない。
恐らく年中から、お題に沿ったお絵描きなどの半分遊びに近い課題等をやり始めた、と思う。
例えば、今1番欲しいおもちゃを描いてみたり、将来の夢を描いてみたり。
いずれもクレヨンを使うお絵描きだ。
共通していたのは書く内容を自分で決めることだった。犬を描こう、というお題はなく、好きな動物を描こう、というお題が多かった気がする。
想像力を鍛える一種の訓練だったのでは、と今なら思う。
当時は何の疑問も持たなかった。将来の夢はその時なりたかったスポーツ選手について、確かサッカー選手を描いた気がする。好きなおもちゃはミニカーを描いた。
そういった課題、と言っては大袈裟なお絵描きの授業で、ある日、恐らく中々難易度が高い課題が発表された。
それは、先生が絵本を読み、その内容の中から気に入ったシーンを描くというものだった。
その物語については断片的な記憶しかない。
老夫婦が不思議な鳥を飼うことになって...といった物語だったと思う。
物語にはいくつかのシーンがあった様に思う。鳥を飼うことになるシーンや、その鳥と旅行に出かけるシーン、鳥が逃げ出してしまうシーン、再開するシーン。
お絵描きに際して、先生が読み聞かせてくれ後、気に入ったシーンを描く、そういったイベントだった。
様々なシーンがある中で、私は迷わず旅行のシーンを選んだ。
大きな森の中の道を、老夫婦と鳥籠に入った鳥が歩いていく。
より正確に言うと、老夫婦と鳥が旅行に出かけるシーンだったと思う。
旅行の始まりなのだから、普通は朝や昼だと思うのだが、何故か、そのシーンは夕方、夕陽に染まった道を歩くシーンだったと思う。
絵本に明確な描写なかったと思うが、私は森の木々の合間に夕陽が差し込み、その光に向かって歩いてく3人(2人と1匹)のシーンが浮かんだ。
そのシーンを描きたいと思った。
どの課題もそうなのだが、描き終わると廊下に一斉に張り出される。
その絵は次のお絵描きが完成されるまでずっと廊下に張り出される。
私が通っていた幼稚園は3階建で、年少は1階、年中は2階、年長は3階といった形だった。
お絵描きの課題が完成されると、2階に張り出されるのだが、校舎の都合上、一部の絵は1階の階段の前にも張り出される。
先生たちは特に説明はしなかったが、子供ながらに理解していた。
1階に張られる絵は特に出来の良かったものだと。
当然、2階の廊下より1階の方が人通りが多い。2階の廊下はわざわざ絵を見にこないと見れないが、1階なら何の用事がない人達も通るからだ。
恐らくそこに張り出される絵はクオリティが高い絵を選んでいたのだろう。
幼稚園の年中、4,5歳でも絵の良し悪しは出てくる。私はお世辞にも絵が上手いとはいえなかった。
だから1階に張り出されたことはなかった。
物語の場面を描くという、その課題までは。
先生が読み聞かせた絵本から場面を抜粋してお絵描きをする課題は想像以上に難しかったらしい。
ほとんどの生徒が絵本の場面をそのまま模倣する形で絵を描いた。
どうやら私だけが絵本に用意されていない絵を描いたみたいだ。
ひょっとすると、最初から絵本の絵から場面を選ぶ授業だったのかもしれない。私が絵を描き出してしばらくすると、先生に呼び止められた気がするのだ。
私はどうしても森の中の3人(2人と1匹)を描きたいと言った。
結果として私の欲求は受け入れられた。
それどころか、先生は驚き私に尋ねた。
「どうしてこのシーンを描いたの?」
「そのシーンが思いついたから」
私は理由はわからなかったが、怒られてると勘違いして、俯きながらそう言った。
先生は何も言わなかった。
そして翌日、私が幼稚園に行くと、一階に私の絵が飾られていた。
クレヨンで画用紙いっぱいに描かれた私の絵は下手くそだったと思う。
だけど、何か誇らしかった。
人生で絵が褒められたのは2回だけだ。
今、何かを伝えたい時に絵を描くと、私のことを周りは画伯だと読んで揶揄う。
私自身も、酷すぎて自分で笑ってしまうことがある。
恐らく、あの時は絵の上手さではなく、物語をキチンと理解し、その中から気に入ったシーンを抽出したところが選出された理由なんだろう。
大人になってからそう気づいた。
今でもそうだが、私は漫画や映画、小説などの架空の物語が大好きだ。それは幼稚園の時からそうで、その時はウルトラマンや仮面ライダーが好きだった。
だから、絵本の内容も私はすんなり入ってきた。
周りはそうではないことに後から気づいた。
時々、一緒に見ていたポケモンやデジモンのストーリーについて、認識が違うところがあった。幼稚園の時、みんなはそこまで深く物語を理解していなかった。
その違いが、あの一階に張り出された私の絵に繋がっていったんだと思う。
残念ながらその絵本について、どんなタイトルでどんな物語であるかは覚えていない。
いつか、機会があったらもう一度触れたいと思う。
年中の記憶を一生懸命考え、思い出せたのがこの記憶だけだ。
次回は年長について語りたい。