方言かわいい、だとしてもそれはアウト
ここ数日「方言禁止記者会見」の話題がSNSを賑わせている。
1月18日の「櫻井・有吉THE夜会」で放映された企画で、二階堂ふみさんが「沖縄弁」を多用する記者の質問に、つられることなく全て標準語で答えられるか挑戦するというものだ。
私自身オンタイムで見ておらず、同僚に言われてTVerで視聴したのだけど、思わず「ヤバい」を連呼してしまった。
沖縄の歴史を知らない?知っていての所業?
それにしても酷くないですかこれ。何目線ですかこれ。ゴリゴリの方言でアウトって、企画自体がアウトじゃないんですか。
「思わず方言の出ちゃうのかわいい」「我慢しようと一生懸命な二階堂ふみかわいい」と好意的にとらえる人もいたようだけど、一部の沖縄県民に違和感不快感不信感を与え、心のやわな部分をひっかきまくる内容だった。
もちろん、二階堂ふみさんを批判するつもりは毛頭ない。沖縄戦を学び平和を発信している彼女を、私は勝手に尊敬している。
意見したいのは企画側、TBS側だ。
noteをはじめて数日目にして、けっこう毒を吐くと思うので毒ノーサンキューという方はこちらで引き返して下さい。
「沖縄弁」って何?
県外の方にはピンとこないかもしれないが、「沖縄方言」「沖縄弁」という言葉自体に違和感を持つ県民は多い。
沖縄県はもともと琉球王国という別の国で、そこで使っていた言葉は「うちなーぐち」というれっきとした別言語であり、シマ(地域)ごとの言葉「しまくとぅば(しま言葉)」。日本の一地方の方言ではない、という考え方だ。
私は片親が県外出身で、うちなーぐちを使わず育っているので、そこまでのこだわりも熱い思いもない。
でも、こだわったり熱くなる気持ちは分かる。
言葉と文化は、アイデンティティーの根幹につながるものだから。
沖縄の言葉と歴史と
沖縄は1879年の琉球処分で日本に編入させられた。その後、同化政策が進められ、言葉や風習、習慣が「日本化」させられていった歴史がある。
沖縄の文化は劣ったもの、二流三流のもの。
地域の祭りも文化も言葉も名前さえも日本風にされて、皇民化教育に飲み込まれていった。
学校では「方言」が禁止され、方言を話した子は首から「方言札」が掛けられた。この札は、次に方言で喋った子を見つけない限り、首から掛けっぱなしにされる。学校が終わるときに方言札を持っていた子は叩かれるなどの罰が与えられた。だからお互い見張り合って、ときにはうっかり言わせるように仕向けて方言札を押しつけ合った。
「方言禁止」はどんどんエスカレートし、沖縄戦中の日本軍は方言で話した住民をスパイと見なして殺すこともあった。
移民として県外や海外に渡った沖縄人も見た目や言葉で差別され、つらい思いをした人は多い。
言葉一つで差別され、殺されていた時代あったのだ。
無知の無知は悪
そういう背景を踏まえて今回の企画を見ると、うちなーぐちに対してアンビバレントな思いがあり、全国でも数少ない方言禁止の歴史がある沖縄出身の俳優に対して、この企画を実行する無責任さ、「沖縄弁」をしゃべらせようとしてる気持ち悪さ、使ってしまった=アウト=失敗という方言札をエンタメ化したような無邪気な悪意に、頭を抱えてしまうのだ。
「思わず方言出ちゃってかわいい」がやりたければ、わざわざ火傷しそうな沖縄出身者を使わなければいい。ほかにもかわいい方言はたくさんあるはずだ。
他県の方には、沖縄、方言禁止、方言札と連想できないかもしれない。でも沖縄にとって「方言」がどのようなものかは調べたら分かることだ。
その手間を惜しんだのか、「大丈夫」と判断したのかは分からないけど、番組制作者の誠意と人権感覚を疑ってしまう。
標準語>方言という無意識の差別・優位性を疑問に思っていない点も問題だろう。「方言かわいい~」という台詞に込められた思いは自分より幼い、劣っているものに対するそれに似ている。
小さな子の言い間違えに「かわいい~」という感覚だ。
それを異文化に対して発露させるのは植民地人類学と変わらない。
そして違和感を感じたり傷付いたりしている人を「考えすぎ」だと一蹴する風潮。
特に弱者(と思っている相手)に対して当たりが強い人は結構いる。
県外からみた沖縄は弱者に見えるときがあるのだろう。
他県の人にはしないような発言、態度をとって平気な人もいる。「沖縄の人ってほら、言葉がアレだから笑」と面と向かって言われたこともある。
「逆に差別だ」「沖縄の人が言うなら分かるけど」と、味方のふりして言葉を封じようとする人もいて、たちが悪い。
相手を知らないこと、知ろうともしないこと。知らない相手を自分の物差しで測ろうとすること。そのくせ知らない相手を馬鹿にしたり差別したり嫌がったりすること。悪意がなかったとしても、それは悪だ。
悪意に晒されるのは、痛いし悲しいし気持ち悪くもなるが、我慢しすぎて鈍磨したくない。何より慣らされたなくない。
今日の腹立たしさとモヤモヤを他山の石にしたい。