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我々はいかにあるべきか?『デジタル社会の罠』を手に、文理の森に入り込む

『デジタル社会の罠 生成AIは日本をどう変えるか』西垣通(2023、毎日新聞出版)

 デジタル関連の著述が多い著者の本は初めて手に取った。が、文系の知識も大変豊富で、AIを切り口として、幅広い分野に触れさせてくれる”知の入り口”のような本だった。物事を相対的に見ようとする態度が貫かれており、知性とはこういうことと感じられる。第二部は読書日記になっており、著者の言葉で良書を評してくれるのは今後の読書ガイドとしてもありがたい。

今もまだ本質が考えられない

 本書から繰り返し痛感させられたのは、「根本や本質を考えることが苦手で、すぐに技術的工夫や経済効果ばかりに走る傾向がある」という日本の性質だ。これは致命的な弱さと言うべきだろう。なぜこうも「考える」ことが苦手なのだろう。深く考えたり真剣に議論を交わしたりする代わりに、勢いやノリといった「空気」が今も判断や方針を支配する。あの悲惨な戦争へと国を導いていった正体は「空気」だった、と上層部が語った古い日本から何も成長していないのか・・・力が抜ける。

三島の暗い予言

 「無機的な、からっぽな、ニュートラルな、中間色の、富裕な、抜け目がない、或る経済大国」とは、1970年に自決した小説家三島由紀夫が、死の直前に喝破した未来日本の姿だそうである。著者は2022年4月から実施される高校の国語改革に寄せてこのくらい予言が想起されたそうだ。論理性を高めることの重要性は言うまでもないが、そもそも「論理性とは何か」を広く深く考えなおす真剣な努力が必要ではないか?と。そう、そういうちぐはぐなことはしょっちゅう起きる。「そんなのロジカルじゃないでしょう」と言えば相手の口を封じることができるみたいになっているが、当の御仁の論理こそ崩壊していることがどれだけ多いか・・・いや、これは卑小な話でした。

関心経済

 この本で「関心経済(attention economy)」という言葉を知った。モノの市場価値の決定において、SNS等での評判が大きな影響を持つ経済ということらしい。マーケティングに関わる身として現にこれを使っているのだが、本音では閉口する。自分にとってのモノやコトの価値ぐらい、自分の足でこの世にバシッと立って、自分の頭と心で決めたい。

文理に架かる輝ける橋

 第Ⅲ部では、生成AIが二十一世紀日本をどう変えるかについて考察しているが、科学的な知識の少ない私には少々難しかった。にもかかわらず、大層面白かった。生物哲学者ヴァレラのオートポイエーシス理論や、これに関連して認知科学(cognitive science)、そして認知科学が「心象表象(mental representation)」という概念にもとづいていることなど、コンピューター科学というより、「人間」や「認識とは」「考えるとは」「心とは」といったテーマが繰り広げられていく。

オートとは「自分」、ポイエーシスとは「創ること」だから、これは「自己創出理論」と訳されることもある。オートポイエーシス理論は一種のシステム理論だが、これによってはじめて、生物はその他の事物と明確に区別されることになった。つまり、あらゆる生物は、みずから作り上げた意味世界に準拠し、時々刻々、意味世界を新たにつくりあげながら生きている「オートポイエティック・システム」なのだ。この点は、人間によって設計され、指示にしたがって作動しているコンピューターのような機械システムとはまったく異なっている。ゆえに「心をもつロボット」は実現困難なのである。

デジタル社会の罠:生成AIは日本をどう変えるか/西垣通(2023,毎日新聞出版)p.240

そのうえで、著者のもともとの領域であるデジタルにつながる。

具体的には心的表象は、対象ごとに単一のデジタル記号として表されることもあるし、ニューラルネットワークモデル(connectionism)のように多数のデジタル記号の統計分布で評されることもある。(中略)(現行AIの大半は、両者が組み合わされている)。そして心の働きは、コンピューター内部でデジタルな論理計算としてシミュレートされるのだ。
 ここで、表象主義においては、世界と心がそれぞれ「独立した存在」だと仮定されていることに気づかなくてはならない。固定した実態からなる宇宙世界が存在し、その有様を、これまた実態からなる心(意識)が認知観察している、という西洋の伝統的思考である。ここで対象が心の場合、前述のような、観察される客体と観察する主体の矛盾という難問が顔を出す。さらに、いったい心とは、世界を映し出せる鏡のような統一的な実態なのか、という疑問もあらわれる。

p.243

 まったく、こうなるとがぜん、文理両道が面白いではないか。なんとかして文理両方にまたがる学びができないか、と欲が出る。

日本のデジタル化が進まない最大の原因

 日本は2022年のデジタル競争力ランキングにおいて、63か国中29位。欧米はもちろんアジア諸国にも劣っている。なぜか?「この国の伝統的な社会的・文化的な価値観が、現在のオープンなインターネットの価値観と食い違っているから」――それが著者の見立てである。かつて日本のメインフレーム・システムが優秀だったのは、それがプロしかアクセスできないクローズドなデジタル・システムだったから。一握りのプロが膨大な時間と努力で作り上げた高品質なものだ。一方、現在のインターネットはオープンで誰もがアクセスでき、アプリは少々間違いがあっても、安く、早く売り出すが勝ちだ。ユーザー皆で使いながら修正していけばいいという米国流のボトムアップの考え方に基づいている。これは「民は由らしむべし、知らしむべからず」で来た日本人の「トップダウンのお上の指令には従うが、その内容は精確できちんとしてほしい」という生活意識と根本的に食い違う、という著者の指摘は自分の感覚と合致する。完全を求める潔癖性は日本人の美学であり文化(p.100)なのだ、「日本のデジタル技術は遅れている、一刻も早く米国に追いつけ」と騒いでいる人は、この米国との文化的差異を見抜いているのか?との指摘も首肯。「デジタル技術の活用には深い知恵がいるのだ」(p.101)

この本で紹介された、今後読みたい本のメモ

・超デジタル世界ーーDX、メタバースのゆくえ/西垣通(岩波新書、2023)
・「ポスト・アメリカニズム」の世紀/藤本寵児(社会哲学者)(筑摩選書、2021)※現代文明の特徴は「総駆り立て体制」
・日本近代科学史/村上陽一郎(講談社学術文庫)
・サンデル教授、中国哲学に出会う/マイケル・サンデルほか(早川書房)
・魂と無常/竹内整一(春秋社)※死は前よりしも来らず、かねて後に迫れり(兼好法師)
・新実存主義/マルクス・ガブリエル(新進気鋭のドイツ観念論の論客)(岩波新書)
・「私」は脳ではない 21世紀のための精神の哲学/マルクス・ガブリエル
・考えるための日本語入門 文法と思考の海へ/岩崎正敏
・入門・世界システム分析/イマニュエル・ウォーラーステイン
・ヨーロッパ普遍主義 近代世界システムにおける構造的暴力と権力の修辞学/イマニュエル・ウォーラーステイン
・ホモ・デジタリスの時代 AIと戦うための(革命の)哲学/ダニエル・コーエン(白水社)
・昼も夜も彷徨え マイモニデス物語/中村小夜※本気で技術文明を考え、地上の有様を変えようというなら、哲学までさかのぼるべきではないのか。
・鶏 人類を変えた大いなる鳥/アンドリュー・ロウラー
・青いバラ/仲のりこ
・2038 滅びにいたる門/廣田尚久


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