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本日最終日、神奈川近代文学館〜安部公房展 21世紀文学の基軸〜に間に合った

ずっと気になってた安部公房展にようやく行けた。

三年前、鹿児島の旅のお供に『他人の顔』を持っていって久しぶりに安部公房にハマった。昼間は知覧特攻平和会館に行き、展示されていた手紙に胸がつぶれる思いがしていた。その上に夜は『他人の顔』の読書だったので、結構堪える旅だった。自分があの時代に生き、あの場所に置かれていたらどうだったのだろうと旅の間考えていた。夜は一体ここにいる自分は本当の自分だろうかなんて考えてるのだから怖い旅だ。夕日の中、開聞岳に向かって車を走らせていた時にこのまま飛び立つのではないかと思った。ヤバい、わたし。

それはともかく、安部公房との初めての出会いは、高校時代。父の本棚から『第四間氷期』を取り出して読んだのが最初。読了して、死とはあるはずの未来がなくなることだと合点した。それが個人であれ集団であれ。
当時は、リアルタイムで『方舟さくら丸』『箱男』、遺作の『カンガルーノート』まで理解がおぼつかないながらも読んだ。話せる友人もなかったのでひとりで悶々とした。

それからは、しばらく忘れていたけれど、鹿児島旅行を機に再読し始めた。この年になって読んでも揺さぶられる安部公房ワールド。どの小説を読んでも自明と思っている(た)ことが自明でないことを突きつけられる。それが、結構心地よいのは、私自身が人間の社会にそれほどの信頼を置いてないからではないかと自分を疑う。そうかも。

鹿児島旅行の『他人の顔』を皮切りにして、立て続けに『砂の女』『燃え尽きた地図』『箱男』『第四間氷期』『壁』などを再読した。『砂の女』は映画でも観た。『他人の顔』は未見。とはいえ、いまだに感想を言える友人がいない。

ところが、今日の文学館には、最終日ということもあり、沢山の人が訪れ熱心に見ていた。映画『箱男』が今年公開されたこともあって若者もたくさん来ていた。新たな安部公房ファン。会話を聞くともなく聞いていると演劇をやってそうな人が多かった。


早くからワープロを使用してた安部氏の仕事部屋

今回の展示には、当時新潮社で行っていた著者の声というテレホンサービスが再現されていた。安部公房が『方舟さくら丸』を書き終えて数年経っても、まだ朝起きると続きを書かなければという気持ちになると語っていた。何かで「小説はタペストリーのようなものだ」と語っていたのを読んだことがあった。ひとつひとつの運針がどうなるのか分からないけれど編み込んでいるうちにひとつの模様が浮かび上がるということと小説を書く行為を重ねたのだろう。『方舟さくら丸』で取り上げたテーマは答えのないものだとも言っていた。

二人の人間がいて、ひとりしか生きられないという極限状態があったとしたらどちらに生きる権利があるのかは誰にも決められない。しかし、現代に生きるということは、いつもそれが問われている。その問いに回答はない。それもわかっているのだけれど、それでも小説家は書かなければいけない、という意味のことを語っていた。終わるはずのない話を書き続けるという行為には畏敬を感じる。

これを機に未読の小説を拾って読んでみようと思う。『けものたちは故郷をめざす』『密会』など。楽しみが増えた。

今日は、安部公房の生きた時代とその影について少し知識が増えたので、また違った読み方ができると嬉しい。


文学館の中にある「鮨喫茶すすす」でコーヒーブレイク。女性店主がオーナーシェフの素敵な店。オーバーヒートしそうな頭を冷やしてくれるのでおすすめ。今日はお鮨は売り切れでした。

チーズケーキセット

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