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『ベーシックサービス 「貯蓄ゼロでも不安ゼロ」の社会』は、闇への入口に蓋をできるか?
著者の井手英策氏が『どうせ社会なんて変えられないなんて誰が言った』をリライトして新書版にした書籍。久しぶりに社会変革の志を持った熱い本を読んだ。
ライフセキュリティ社会の実現のためにベーシックインカムならぬベーシックサービスを導入せよ、がテーマ。ベーシックサービスは、大きな枠組で簡単に言うと文化的な最低限度の生活保障を現金給付ではなく現物給付を行うことで実現すること。もっと簡単に言えば国民の命綱として、お金を配るか、誰もがサービスを受給できるようにするか。ちょっと簡単すぎるまとめだけれど私程度の頭ではそんな理解。
どうやら2022年頃から政治の表舞台では、言われ始めていたらしいけれど、恥ずかしながら今回、本書で初めて知った。
ベーシックサービスは、社会生活を送る上で必要なサービスを誰でも受けられるようになるということを目指している。
当然のことながらその財源の捻出は、必要になるので税金はあがる。しかし、すべての人の文化的な最低生活が損なわれる心配はないように設計する。
自己責任社会では貯蓄が必須になるが(そうそう、老後〇〇〇〇万円というやつ)社会保障が充実すれば、その分貯蓄額は少なくて済むため消費する金額も増える。結果、経済も活性化するだろうという理屈。この辺になると、その効果はやってみなきゃわかんないだろうという気になるが、論なので読み飛ばす。
さて、ベーシックサービスのベーシックって何?と疑問が浮かぶ。
本書ではベーシックニーズを
1.食糧、家や施設、衣服などの個人的に消費される基本物資。
2.共同体で提供されるべき安全な飲料水、衛生環境、公共交通、健康、教育などのサービス。
3.民主的な意思決定への人々の参加
としている。
それではベーシックサービスに連なるものとは保育、教育、医療、介護などになるだろう。子育て、学び、病、老いに対しての備えは自己責任ではなく誰もが平等に受けられる権利として存在しなければならないものという発想。
増税といえば、お上に搾り取られ続けてきたという時代劇で刷り込まれた強烈なイメージがあり、生活が苦しくなるというマイナスな像が浮かぶ。(これは私見😊)だからこそ、民主的な意思決定への国民の参加が必須と言っている。
そして、リアルにその政策が実現したときに欠かせないもうひとつのピースが、地域社会における自治を基盤にしたソーシャルワークだと言い切ってる。絵に描いた餅にしないために身近なつなぎ役が必要。
最後の章では、社会連帯に潜むファシズムの危険性に言及しながらも未来への希望ある社会変革を促している。
私の理解では、そんなところだけれど、最後に頭に浮かんだ問いを書いておこ。
ベーシックサービスが充実したら闇バイトは、自殺者は減るのだろうか?
最終回を見逃したドラマ「3000万」やリアルの報道をチラ見したりしてるとどうにも気になってしまう闇バイト。そこかしこに闇への扉が口を開けているようで⋯。
その闇の入り口に誘うのは、相対的な貧困。インターネットにも盛り場にもなんの因果か貧しさに魂を抜かれてしまったゾンビが巣食って新しい獲物を待っている。
ベーシックサービスはゾンビに魂を吹き込む救世主になるのか?社会をまともな方向に変えていく光の道標になるのか?またまた妄想が膨らむ。
実際に公明党、国民民主党、立憲民主党は、ベーシックサービスについて議論したり言及したりしている。
本書は、大多数の政治に諦めを抱いている人へ向けて、ひとすじの狼煙をあげている。
私のようなすみっコぐらしの隠居に向けても、しらけてないで参加しろと言われているようだ。
ベーシックサービスについて注視していよう、と思う。