日本漂流
金曜日の夜は、ターミナルの駅だっていつもと装いが違う。人がなんかソワソワしているように感じる。今日は特に人がいっぱいいて騒がしい。そんな印象を受けるのは、自分の気持ちがうわついてるからなのかな。最近は、5日間働くと金曜日の夜は解放感でいっぱいになる。お勤めご苦労さんという感じ。
Y駅の喧騒を写真に撮りたいなぁ、という欲望が浮かんだ。心のざわつきの真相をつき止めてみたいから。
とは言っても、雑踏は撮りにくいから無理だろ。とりあえず、昔の街を眺めよう。
今との一番大きな違いは、写ってるのがみんな日本人であること。今は毎日通ってるので、当たり前の光景になってはいるが、いつ歩いても様々な国の人で雑踏が埋め尽くされている。私の周りも子供の頃は、ほぼ日本人だった。外国人がいたらすぐに目立っていた。時代を切り取って比べてみれば一目瞭然。なんのはなしですかってことだけれど、日本は、島国で単一民族の国と繰り返し刷り込まれてきた世代の人間にとって、振り返ってみればものすごい勢いで時代が動いているのを感じる変化の一つであるわけだわ。世界は混じり合ってるし、距離が近くなった。人間の流れも川の水のように、ひとところにはなく移ろっている。必然のことであり、平等ならば善きこと。
さて、街を徘徊してみよう。昭和、平成が色濃く残る大船へ。昔は松竹撮影所があった観音様が見守るあの街に。
駅に着いたら選挙戦終盤なので、街頭演説をしてる候補者がいた。何気に聞いていたが、マイクを握ってたのは見知らぬおじさん。候補者の名前を連呼してお願いしてるだけで、立ち止まる人もまばら。今回の選挙も熱が低い。政治とともに日本が漂流してるような心細さを感じた。
今日の帰りがけ、職場で今度会う時に日本はどうなってるだろね?と、笑いながら話したら。50代の同僚は「トリック・オア・トリート?渋谷の話」と話題がズレた。「政権が揺らぎそうじゃんってこと」と30代女子。「どうなってるかね」と職場のレジェンド。そこで話は終わった。雑談程度が日本人の心性には合ってるようだ。私とて、とくに深い話がしたいわけではない。最近、5日間も働くと疲れが溜まるので開放感からの軽口に過ぎなかった。秋の花粉も空中に舞い始め、なんか、身体が疲れるのよね。
ともかく、大船の街を歩く。まずは銭湯に寄ってみよ。疲れも花粉も取りたいもんね。番台にはガラガラ声のおばちゃん。丁寧に銭湯の仕組みを教えてくれる。玄関の下駄箱の鍵を預けて料金を払う。ワンコインプラスα、貸しタオルはさらに20円。お金を支払えば脱衣場のロッカーの鍵を渡される。あとは、ごゆっくり浸かってくださいって。
浴室には、以外に若い人もいるが、もちろん年配の方が多い。広くはないが、昔ながらの銭湯。ケロリンの桶はまだまだ現役。街場の銭湯に良くある炭酸泉、ジェットバスもある。よしよし。マナーを守ってゆっくり入ろは。
あっ、先輩が石鹸を滑らせた。
『鍵泥棒のメソッド』なら入れ替わってしまうところだったわ。
椅子に座りながら石鹸を追いかけてる先輩。身体捻れてるぜ、アブね。取ってあげたら、豪快に笑ってた。いいね、大衆浴場。
と思えば、強面の方もいらっしゃるので、ちょっと緊張する。皆知らん顔してるけれど、内心はそうでもないかもね。お顔を見れば、同世代だなぁ、と気づくこの変化の早い時代をどう思うのだろうと妙な関心が湧く。「関係ねぇよ」とどつかれそうだけれど。巷では、インターネットを駆使して闇バイトを斡旋し若者を食い物にしている輩が跋扈してるわけで、何食わぬ顔をして市民社会に同居してる人もいそうな最近の世の中だよ、とひとりごつ。昭和のアウトローは、きっちりわかるような立ち居振る舞いだった。カタギに近寄っても来たが、一線を引き、棲み分けをしてた。まあ中途半端な人もいたけど。近所の暴れん坊のおっちゃんは、本物かどうか知らんけど、拳銃見せびらかしに持ってきたことあったもんね。「馬鹿なことしに来ねぇでくれ」と父がボソボソ言ってた。恐ろしくも昭和なエピソード。そんな事を思い出した。
考えてみれば、同時代の中にはいつだって昔と今が入り混じってる。人は未来を夢見がちだけれど、いろいろな過去のものがひっそりと息づいているのが今。
忘れてたけど、大船って鎌倉だった。中世からの血塗られた歴史が、そこかしこに染みている場所だったわ。なぜか、今日も1日生きられてありがとう、と感謝の気持が湧いた。とりあえず、明日も生きてられるだろうと誰かが保証してくれたわけではないけれど信じられてるからかも。
ひと風呂浴びたら、焼き鳥屋だね。老舗の食堂に寄りたかったけれど、お行儀が良くて19時には閉店。
こんな日は、気の置けぬ一杯飲み屋が良い。カウンターが気楽。お安い店を物色。あったよ適当な処。細長いカウンターに二席だけ空いてる。角が良いね。
メニューをお姉さんが取りに来た。若い女子、アルバイトか見習いか一所懸命な感じに好感を持つ。最近は飲食店でも店員さんは外国人の人が多い事を思った。10年くらい前、この店の近くのカラオケ屋さんにロシアから来た女子が働いてた。日本語が堪能だったのでアニメにでも興味を持ってやってきたのだろうか。彼女は今頃どうしてるのだろ?まぁ、どうでも良いことを考えていると、後ろの席から音楽談義が聞こえてきた。と言っても酔っ払ってるので話はリフレインしてる。ロン毛とスキンヘッドの二人組。小林信彦の小説に登場しそうな絵に描いたような取り合わせ。聴こえてくるパワーワードは、「ボビー・バレンタイン」マリンちゃん(だれのことかわからない)と言う歌手のことを話しているのだけれど、ボビーのくだりは恐らくマリナーズからの連想から来る、ぼけなのだろう。まあ、どうでも良いがチラチラ観察すると面白い。大学時代のK先輩ならばすかさず杯を持って近寄ったろう。今時そんな人いないけれど。そのK先輩と学生時代、高円寺で一緒に飲んだ時には近くの部屋から関取が来ていて、その間にも突っ込んでいった。相手の目に殺気が見えたので、すかさず黙礼をして店を出た。生きてると、あちこちで恐ろしげな目に遭ってることも思い出す。
話を戻せば、焼き鳥屋の店員さんは若者オンリー。気持ちが良い。真面目な接客されると、ちゃんとした人になれるので、一杯だけ飲んで帰ることにする。
駅に着くと、街頭演説していた候補者が駅中に応援者と一緒に並んで立っていた。帰りを急ぐ人たちを眺めてるだけなので、不思議な光景に映った。
苛烈な生存競争などは、ごめんなので、ぬるま湯のような今は決して悪くはない。
しかしながら、いつの世も、何かに駆り立てられて誰かと競争しながら生きる人が実は多い。そんな人たちが街を発展させたり、誰もが生きられる社会を命がけで闘って世の中の仕組みを変えたり、人類が生き延びることを考えて科学を進歩させてきたのだろう。そんな人たちのお陰で、今があることを思うとちょっぴり罪の意識が疼く。まぁ、ちょっぴりだけど。
月曜日は、新しい日本になってる朝を迎えるのかな。どちらにせよ、いつもどおりの持ち場でちゃんと働こうと思った夜。