子供のエネルギーは、カオスを凌駕していく
今日、Rちゃんと約束して遊びに行った場所は東京都下にある室内型児童遊戯施設。なかなかエネルギッシュ。
エアトランポリンやすべり台のある広いスペースに人工雪の降るスペース。ふれあい動物園もあり、忍者屋敷に錯覚を利用したマジックハウスと、何でもある。
ふつうのゲームセンターもあれば、昔のコインゲームが無料で遊べるスペースも。室内を走るゴーカート、屋上遊園地にあるようなメリーゴーラウンドに観覧車、そして敷設された子供電車と、まさしくカオスな世界、遊び放題。
その混沌とした世界を凌駕しているのは子どもの発散しているエネルギー。子どもって半端ない。Rちゃんもその仲間。すぐに溶け込んだ。
海外のSF作家、短篇の名手の作品に、大人が自分の子供と入れ替わり、公園で子供の世界を味わい心の底から恐怖を感じるという話があった。子どもには大人の世界の理屈が通じず、身体能力が一年違えば大きな差になる。しかしながら、大人の人間の知恵を持ちながらその世界と対峙しなければならないというのは、想像するとなんとも理不尽で恐ろしい世界。
わたくしは、大人の身体と大人の知恵を持ってるから目がまわったくらいで安全に過ごせた。けれど、大人の知恵と子供の身体であったならと思うと身の毛がよだち来るのを嫌がっただろう、という妄想に駆られた。
まぁ、Rちゃんが楽しんでたのだからそれで良いのだけれど。
Rちゃん、帰りの電車では、Gちゃんの膝枕に沈んでた。この世界を生き抜け、Rちゃんに勝手にエールを送っておく。
見方を変えれば日常の光景もSFに見えてくることは今日の発見。
Rちゃんの寝息を感じながらしばし頭の中で逍遥。
考えてみれば、あの場所は、テーマパークの真逆だったかも。名付けてみればテーマなしパーク。ある意味突き抜けた発想。そこはかとなく昭和の匂いを感じたのは、アジア系の市場の香りだわ。何でもあり、様々な境遇の人が行き交い、渦巻くエネルギーが充ちたあの世界。
知らんけど(笑)