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こじこじのおかしなクレーム対応

マインドを強化するのに、自分にも気楽さはあったよねと思ったストーリーです。

私はとあるコーヒー屋さんで約10年働いていたことがあります。これは印象的だったな!という思い出のクレームを2つをあげて、気楽に行こう!を伝えていきます。

当時大前提として、クレームはギフトだと教わりました。至らない部分を指摘していただけて、自分たちのサービスの向上ができるんです。ただお客様のお気持ちを残念に思わせてしまったことに変わりはありません。ありがたく受け取り、誠心誠意改善に努めます。

しかし!世の中には「クレーマー」という存在の人がいます。理不尽にキレて周囲に八つ当たりするような人です。衝撃的なことに、クレーマー募集!という求人広告をみたことがあります。なんと恐ろしいことでしょうか!不毛ではありませんか。本当のクレームなのかクレーマーなのかは、しっかりと傾聴し事実確認をしないと分かりません。

残念ながらサービス業にクレームは付きものです。アルバイトが対応した場合や、若いとか女性というだけで高圧的な態度を示す方もよくおられます。そこまで頻度が高いわけではないですが、クレーム対応って結構メンタルがすり減りますよね。現在合宿中に学んだことを活かすことができれば、そんなストレスも減らすことができたのではないか?と思うことができています。

私はクレーム対応時に大胆な行動をとったことが2回あります。息抜きとして読んでいただければと思います。



1回目は20代もかなり前半の頃です。時間帯責任者として働いていました。休憩中に、バックヤードに下がってきた従業員が「ごめ〜ん。責任者呼べって言われちゃった。」と申し訳なさそうに助けを求めてきました。急いでエプロンをつけてカウンターに戻ります。するとそのお客様がレジの従業員へ向かって小銭を投げつけていました。

「私が責任者です。」とちっこい小娘が出てきたので、少しばかり驚いている様子でした。なぜだか分かりませんがキレている様子。お客様のイライラによって、レジ前のマカロンが犠牲になっていました。傾聴しても怒りは収まりません。怒りの原因はお客様の中にあり、お店の中にはないんです。

小銭を投げつけ、マカロンを潰し、フードケースを指差し「この食べ物に何が入ってるのか、説明書を出せ」というような話をされ始めました。何でもありです。「お伝えすることはできますが、社外秘なのでお見せすることはできません。」と小娘は引きません。

「だったら読み上げろ」と怒り続けています。仕方なく商品説明を読み上げ始めました。すると「声が小さい!」とさらに怒られます。小娘はそこでカッチーン!ときてしまったのです。しかしここでは責任者であり、会社を背負っています。むやみやたらなことはできません。

カッチーンときた小娘は、それはそれは大きな声で商品の材料を読み上げ始めました。「こーむーぎーこーと〜!ちょーこーれーとーと〜!」コンパクトだった店内に響き渡ります。一緒に働いていた従業員たちは一斉にしゃがみ込み、笑いを堪え震えています。もちろん他のお客様も過ごされています。

小娘は意外と冷静でした。読めない漢字などが含まれるものは読み飛ばし、昨今話題の「ピーエイチ」も(ペーハーだよな?でっかい声で間違うのも恥ずかしいから飛ばしとこ)と何個かの商品を読み上げさせられました。お客様は呆れたのか圧倒されたのか「もういい!」と言って退店されました。

この場合は、お客様をクレーマーと断定しながらもかなり誠実に対応させていただいたと思っています。がその店舗では語り継がれる爆笑クレーム対応となりました。

ここでお伝えしたいことは、世の中には理不尽に怒りをばら撒く人がいるということです。お賽銭箱でもないのに、お金を投げる人に良い人はいません。このような時に、全てに誠実に対応する必要もないのでは?と思うのです。真面目ばかりで生きているのは窮屈ですよね。クレームも楽しめることもあるよ。とお伝えします。


次のクレームも、理不尽にキレるお客様でした。その時も責任者を出せ!と言われたので、「私が責任者です」とお客様のもとへ飛んでいきました。どうやら、そのお客様はひとりの従業員が気に食わないようでした。オネエ系の従業員です。誠実で大切な従業員が悪く思われるのは許せません。

「お前表出ろ!」と店舗の外へ誘導されます。おや?これは危ないやつ?と察するも、他のお客様にもご迷惑ですし、お客様の怒りが収まらない様子なので、他の従業員に「何かあったら警察に連絡してください」と伝え、店舗の外へと行きました。

傾聴し、このお客様は自分の怒りをぶつけたいだけのクレーマーだと断定しました。クレーマーだと断定した私の態度に「お前聞いてないだろ!」と怒ります。「いえ、聞いてます。申し訳ございませんでした。」一体何に謝っているのか分かりません。「お前俺のことどうでも良いと思ってんだろ!」「いいえ、思ってません。(はい、思ってます。)」そんなやり取りが続き一通り怒りをぶつけたのちにその方は帰られました。


しかしその後そのお客様は常連客となったのです。次の来店時を逃しませんでした。まさか再来店されるとは思ってもいませんでしたが、そのお客様を見つけたその時に自ら話しかけにいったのです。その瞬間でした。お客様の無愛想な表情が、パーっと笑顔になりました。この方はもう怒りをぶつけてこないと察しました。結局最後までお客様の本心は分かりませんでした。クレームほどの大きな出来事があった時は、その次が超大事。ピンチはチャンス。

ここでお伝えしたいことは、開き直ると状況が開けてくることもある。(強引?)ピンチはチャンスということです!

いやいや、こんなストーリーでは終われませんね。この2つのクレームストーリーから学べたことは

・何でも超真面目にやっていたらつぶれちゃうよ
・どんな状況でも楽しめたら最強
・覚悟し腹をくくると結構強気で動ける
・仲間がいるからがんばれる

このようなことが伝わればと思います。と、ここまでは根性論です。

例にあげたようなクレーマー対応であれば話は違うのかもしれないですが、クレーム対応って本当にストレスが大きく、神経がすり減りますよね。そのような時に、セルフコンパッションを使い、自分に優しく接し、共通の人間性に気付けることでストレスが減らせるのかもしれません。

理不尽に怒りを撒き散らすような人を相手にする時間がもったいないと思いながらも、どうしても避けられないような状況ってありますよね。その時でも、怒りや恐怖に振り回されずに考え行動ができるのでは?と思った「許し」の文章をセルフコンパッションから抜粋してお伝えします。


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許しとは誤った行動を多めに見ることでも、自分を傷つけた相手と交流しなくてはならないということでもない。人は誰しも不完全であり、間違いを犯すものであることもよくある。また、人はしばしば無知や未熟さ、恐怖、無分別な衝動から行動すること、そうした行動について、相手が完全に意識的にコントロールして行っているかのように、その相手を批判すべきではないこともよく理解している。相手が自分はひどいことをしていると認識している場合であっても

「何があったせいで、あんなに思いやりを持てなくなったのだろう?」
「どんな傷を負ったせいで、あんなに冷淡な行動を取ったのだろう?」
「あの人は、どんな人生を送ってきたのだろう?」

時に間違いを犯すのは、人の常である。一人の人間を裁くことは全ての人間を裁くことになるのである。しかし、一人の人間を許せば全ての人間を、自分自身を含めて、許すことになる。
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許すってすご〜く深いなと思う今日この頃です。

本日も、お読みいただき
ありがとうございました。


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