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認知症の母:行政の手続きとサポート

2021年。自力での服薬が難しくなり、お金の管理ができなくなり、電話も変なことになった母。

つの間にか、母の家のカレンダーにはたくさんの❌が付けられていた。
1日1日、過ぎた日に❌。几帳面に定規を使って線を引いていた。
以前、母はこんなことはしなかった。
落ちていく自分の能力を補おうと懸命なのだ。
母なりに。


どんなことが書き込まれているのかカレンダーをじーっとよく見ると、
11月30日9:00「介護保けん けんさ」
とあった。3日後だ。

「ママ、これってここに誰か来るの?」
「う〜ん、わかんない。そうだと思う」

介護保険か。
確かに必要だが、誰がなぜうちに来るのかわからない。でも確認するにも一体どこへ連絡したらいいのかわからない。
母はこんな状態だし私も知っておく方がいいだろう。
心配なのでその日は同席することにした。

当日、朝9半に女性が一人やってきた。
挨拶はしたがよくわからないので黙って同席して話を聞いていた。特に何かテストを受けたり決めることがあるわけでもなく、たくさんの質問に答えるだけだった。後半になって、「今までに何か大きなご病気をされましたか?」と聞かれて母が、「いいえ、ありません!」ととりわけ元気な声で答えたので、「え!ママ!4年前に心臓の手術してペースメーカーが入ってるよ!」と口を挟んでしまった。

この後わかったが、この女性は介護保険の訪問調査員で、すでに母の主治医の意見書も見て本人宅を訪問したのだった。部屋が片付いているか、本人の整容(身なりを整えること)を見ることも審査の重要なポイントなのだそうだ。

そうとはまだ知らない私は、1時間ほどの質問が終わり調査員が帰ろうとした頃、やっと質問した。
私:「あの〜、これは一体どんな調査なんでしょうか」
女性:「あ、介護保険利用のための最終調査です。お申し込みを受けたので」
私:「え?申込というのは母が?」
女性:「はい、お母様がご自身で全て手続きされましたよ」
私:「え?それはいつ頃ですか」
女性:「10月の中頃ですね」

!!!
認知症がもう限界だと母は覚悟したのか、自力で介護保険利用の手続きを終えて、その1ヶ月後には全て忘れてしまった。なんということだろう。
母は使えるものは全て使う主義だ。行政の制度や経済的補助をとことん利用する人だ。税金を払った分は取り戻す気満々の母らしい行動だとつくづく感心した。

その後、クリスマスを過ぎた頃、介護保険 被保険者証が届いた。
母はまだ一人暮らしができているし、私の想像では「要支援1か2」になると想像していたのに、緑色の紙に「要介護1」と印刷されていた。

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