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みんなが知らないCCJ。3

昭和のバブル経済が起こる少し前。大学を卒業し希望をもって健康食品会社に入社した青年、原田浩光さん。入社3年目25歳会長室戦略推進部という部署に就き、あれよあれよと日本初クラウン養成学校の担当者に任命。気が付けば米国・フロリダ州でクラウンカレッジに入校していたのでした。


リングリングサーカスについて。

1988年8月、リングリング・ブラザーズ・アンド・バーナム・アンド・ベイリー・コンバインド・ショウズ・インク (Ringling Bros. and Barnum & Bailey Combined Shows, Inc.)との契約締結。ここで当時のリングリングサーカスの事業について簡単に書き置きます。

この長い名前ですが一応書きますね。ベイリーサーカスバーナムさんがくっついてバーナム・アンド・ベイリー・サーカス (the Barnum and Bailey circus)になって、さらにリングリング兄弟 (Ringling Brothers)がくっついたもので、日本の銀行の統廃合みたいな名前です。以後リングリングで勘弁してください。

この当時リングリングは日本進出を計画、実行に移している時期でした。
リングリングの事業は大きく5つあり、一つはサーカス。一つはディズニーのアイスショー。一つはラスベガスのマジックショー。一つはフェスティバルイベント。もう一つが米国クラウンカレッジ本校の計5つ。

ディズニーのアイスショーとは現在も行われているディズニー・オン・アイスのことです。あれってリングリング関連だったんですよ。私も見に行きました。こちらは当時から地方テレビ局が権利を得ていました。

ラスベガスのマジックショー。これはツムライリュージョンと銘打ったジークフリード&ロイのマジックショーです。当時テレビでバンバンCM流れていました。ホワイトタイガーが売りでした。「自然と健康を科学する」ツムラがスポンサーとなっていました。

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ナチュラルグループ本社はこの5つのうちの米国クラウンカレッジ本校に関するライセンス契約を結びます。学校運営に関するさまざまな権利の他、リングリングが作るショーを興行展開する権利が含まれていました。

ナチュラルグループ本社との話が出た頃でしょうか。契約の一年前1987年のCMです。リングリングの日本進出が垣間見られます。普通に見てました。これ見てた時はクラウンカレッジジャパンに入るとは思わないよな。まだ無いんだもん。

アレレ???なんか三期講師ぽい人映ってるな。ムムム。誰かに聞こう。
そして契約締結後まもなく、原田さんは渡米します。でも一人じゃありません!当時のお写真の掲載許可いただきました。それでは続きはCMのあと!(笑)


上記の動画は別画面で再生されます。

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1988年 原田さん25歳。

1988年 原田さん25歳。

今まで一人だった(一人じゃないけど)原田さんに仲間ができます!まるでRPGのパーティのような四名。現在パフォーマー業から退いている方がおりますので、このような加工で失礼します。原田さんだけをトリミングすることは可能ですが、それではこの写真の意味がない。みんなの表情をお伝えしたかった。実はここでド〇クエの序曲を入れたかったのですが。脳内再生でお願いします。

88年。原田さんは25歳。8月8日~10月18日、フロリダ州のクラウンカレッジ本校に入学。週6日・一日(最長)14時間の授業。相当がっつりだったことでしょう。え?週6日?最長だとしても14時間!!!!!。クラウンカレッジジャパンは週5日・10:00~17:00でした。

一緒に旅立った三名は演劇経験者。正社員として採用され米国クラウンカレッジ本校への参加と卒業後のクラウンカレッジジャパン開校準備までが当初のミッション。元劇団員三名とド素人(原田さんご自身のこと)。他の生徒は全米からオーディションをクリアした生え抜き・・・劣等生もいいところ。視察半分ということもあって、自分でもやってみたけど・・・・。と語っていました。

キャンパスはリングリングのベースキャンプ。
本番さながらのサーカスアリーナです。
ここで新しいショーのリハーサルをして、ツアーへ出ていく。
夏の空いた期間を有効活用していると聞きました。

学生が作ったギャグや衣裳、小道具などのアイデアは
新しいショーに活かされる。よくできた仕組みだと感心しました。

・・・・・・

宿舎はキャンパスからスクールバスで6~7分ほど。
2人部屋のコテージです。

私は同行した日本人同士の部屋だったので気楽だった。
敷地内にプール、5分ほど歩けばビーチもありました。

食事は自前。毎週土曜日の夕方、
スクールバスでスーパーまで買い出しに行きました。

今でこそデジカメやらスマホなどで簡単に記録が取れる時代ですが、当時はそうはいきません。記録係がいるわけではありませんし、言葉の問題もあります。帰国後講師も兼務する予定で学ぶことが多い。なにより、つい最近までネクタイを締めて通勤していた生活とはあまりにもかけ離れています

今のようなITインフラがあったら……と思わないでもない。
翻訳はスムーズだし、画像や映像をブログやSNSに上げるとか、
あらゆることができたでしょう。

当時は休日に丸一日かけて報告書を書き、
翌日日本にファクスで送ってもらった。
他の皆はBBQパーティーをしたり、
友好親善を楽しんでいました(笑)

卒業公演の模様。

パンフレットよりの転載。

卒業公演の模様。卒業生はナンバープレートを付けています。卒業公演はオーディションでもあり、評価の対象になっています。そして合格者はリングリングサーカスへの出演を約束されますが、希望が叶わず数日のうちに帰路に就く者が大半です。この年は学生55名のうち、15名ほどが契約を結んだようです。翌年に日本公演を控えていたので、人員を増やす必要もあったのでしょう。


パンフレットよりの転載。
パンフレットよりの転載。

これもパンフレットよりの転載。あわわ・・・ルーさんがいる。後列右から4名が日本からのメンバー原田さんは右から三番目。黄色い髪のホワイトクラウンです。上に掲載している卒業公演の写真では、左側のちょっと高いところにいますね。

10週間の米国クラウンカレッジ本校ライフを過ごした原田さんたち四名は日本に戻ることになるのです。そして数か月、日本を離れているうちに何か動きがあったようです。次回はクラウンカレッジジャパン開校へ向けての話、書こうと思います。原田さんマジすげぇな。


リングリングサーカス・ニューヨーク公演へ出演。

と、ここで終わりそうですが、今回色々調べたところ「NY公演の舞台に」「マジソン・スクエア・ガーデンの公演に」などしらっと書いてあることが多く、気になってしまって追取材させていただきました。今回はただでさえ文字数が多く別記事でもいいかと思うのですが載せちゃいます。

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一旦帰国後、リングリング・ブラザーズ・アンド・バーナム・アンド・ベイリー・サーカス (Ringling Bros. and Barnum & Bailey Circus)ニューヨーク公演へ出演します。観客にとって原田さんが日本人であるとか、新人であるとか全然関係のないプロのクラウンとしての出演となります。

1989年3月23日~4月23日。全53回公演。会場はマジソン・スクエア・ガーデン。NBA(バスケットボール)やロックコンサートでおなじみのあのMSG。ん?!もしかしてMSGの公演に日本人が出てたって公式記録に載ってないのかも。これって。

朝10:30、昼2:30、夜7:30。1日2回公演が主で、1回や3回の日もありました。当時のサーカス興行は家族連れで客足好調。MSGでの公演は毎年春休みの同じ時期に行っていた模様。上の動画は原田さんが出演した年ではありませんが、このようなCMが放映していたようです。

1回のショーの出番はギャグやパレードなど全部で8つ。
(端役だが)他のクラウンたちと同じルーチンをこなし、
開演前のグリーティングでは観客は私が日本人とは分からない。
(当然とは言え)新鮮で面白く感じた。

会場近くのホテルに宿泊。オフにはブロードウェイでエンタメ観劇、
ヤンキースタジアムでメジャーリーグ観戦。
思えば夢のような体験だった。
人生のピークだったかも(笑)。

ええ?人生のピークだったかも(笑)???。


今回、お話をしてくださったのは・・・・
■原田浩光さん
現在はこんなことしてます。え?え?ええ???

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◇クラウンマガジン編集部 まるせい
今回、追取材や記事添削で加筆修正をお願いした結果、ほぼ原田さんが書いてくれました。ホントありがたい&貴重なお話です。掲載している動画はリンク切れの可能性があります。



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