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【小説】「渋谷、動乱」第5話

 YouTuberの錦戸愛斗にしきどあいと野間紅のまべにが待機していた場所から、渋谷駅の構内へと下る階段を挟み、ハチ公前広場にでんと置かれている東急5000系の電車、通称「青ガエル」の前には、時間にして10分ほど前から、示し合わせたかのように、10代から20代の若者たちが集まり始めていた。皆、スマートフォンに視線を落とし、その場に集うほかの若者たちの顔を見る素振りを一切見せないことから、彼らが単に、この場所で友人や恋人たちと待ち合わせるために集まってきたわけではないということは明らかだった。
 ちょうどそこへ、若者たちの人波をかき分け、見るからに屈強な黒服の男たちに四方を守られながら、軽やかな足取りで颯爽と現れた若者がいた。歩くたびに、ズボンの裾と琥珀のような輝きを放つ革靴の隙間から、素足の骨ばったくるぶしが覗く。その若者は、自政党所属、当選4回の元衆議院議員で、厚生労働副大臣を務めた箭内敏正やないとしまさの次男、箭内聡明やないそうめいだった。黒服の男たちが現れた時点で、広場にいた若者たちの視線は、スマートフォンから聡明の方に移った。途端、女の子たちからは悲鳴に似た歓声が上がり、ほかの若者たちも即座にスマートフォンを構え、聡明の動画、または写真を撮り始めた。

 聡明は決して気取ることなく、インナーに白のTシャツを着、いたってシンプルなネイビーのセットアップに身を包んでいた。だが、服装の奥に秘められた身長183センチの、ほどよく鍛え上げられた肉体のシルエットはまごうことなく美しく、父親の敏正譲りの凛々しい目元は見るものを魅了し、そしてなんと言っても学生時代、声楽でならしたその落ち着きのある美声は、まるで歌うために生まれた来たようなものだった。
 ただ、聡明の後ろには必ず、父親の姿、父親の地位、父親のイメージが嫌でも付きまとっていた。その後ろ盾は聡明も、自分の人生にとって有益なものであると、子どもながらに理解してはいたが、思春期を迎えたあたりから、そういった父親の背後霊めいたものに嫌悪感を覚えるようになり、そこからいかに逃れるか、父親の生霊を除霊するにはどうすれば良いのか。そのことばかりを考える日々が続いた。そこで聡明は一計を案じ、父親の存在を払拭した「箭内聡明」として、確固としたセルフイメージを形作ることを思い付いた。そうすることで、父親を超えることは出来ないとしても、対等な立場に立つことが出来るのではないかと考えた。

 聡明の姉の有希子ゆきこは、家に寄り付かず、母親ひいては家族を蔑ろにする父親が大嫌いだったため、子どもの頃、父親に憧れていたように思えた聡明の心変わりに内心嬉しくなり、半ば冗談半ば本気で、芸能人にでもなってみたらと、いくつかの芸能事務所のオーディションの資料を聡明に手渡した。芸能界への道は、聡明もうっすらと頭に思い浮かべていた選択肢の1つだった。父親と肩を並べるためには、それだけの影響力、人望、ファンを持つ必要があった。有希子の協力、応援もあってか、あるいはもともとのポテンシャルが評価されたのか、聡明は目論見通り、大手女性出版社が主催するDボーイコンテストで準グランプリを獲得。即モデルとして、各ファッション誌に起用されたほか、テレビドラマにも準主役で何本もの出演を果たした。
 繰り返し、メディアに取り上げられたことで、当然父親の名前もたびたび取り沙汰され、二世だ、親の七光りだと揶揄されたりもしたが、聡明はそれぐらいのことでは全く動じなかった。むしろ、メディアが騒ぎ立ててくれることを喜んでもいた。そして、聡明自身も自覚していたが、知らず知らずのうちに、父親の鋼のメンタルも受け継いでいたのだった。

 芸能界でそこそこ名の知れた存在となった聡明は、プライベートの席で、大学の先輩で当時ベンチャー企業の役員を務めていた清水成彬しみずなりあきらと再会した。清水は役員のほか、環境保護運動を推進するNPO法人「自然の会」の代表理事を務めており、自らを「ナチュラリスト」と名乗っていた。一般的にナチュラリストは、自然に関心を持ち、積極的に自然に親しむ人や動植物を観察・研究する人として定義されているが、清水が名乗るナチュラリストは違った。
 清水がナチュラリストとして第一に掲げるのは、ひとりひとりの人間が「ありのままでいること」だった。人種や国籍、国の過去の歴史、ジェンダー、文化、思想、宗教といったものを、あくまで後から作られ、個人個人が身に付けさせられた「被膜」のようなものとして捉え、それらの影響を我々が免れることが出来ないことを理解した上で、face to faceで向き合った時に、いかにありのままに、清水の言う「自然状態=naked」で相手と付き合うことが出来るか。そのことを、金科玉条として掲げる人物だった。
 聡明はいくら先輩とはいえ、ナチュラリストという肩書きにはきな臭いものを感じた。人それぞれ、好きな思想信条は持つべきだと思っていたが、ひとりひとりの人間が自然、また裸でいられることなどありえるのだろうかと、自分の人生を振り返ってみても、どうしても理解が出来なかった。ただ聡明もその時はまだ、清水が本心からナチュラリストを名乗っているのか、パフォーマンスとして名乗っているのか分からなかった。だが後に、清水の活動の背後に、柏葉源一郎かしわばげんいちろうという政治家の影を嗅ぎ付けた時、聡明はこれは自分に与えられたチャンスかもしれないと思った。
 柏葉源一郎は、表向きあまり名の知られた政治家ではなかったが、自政党で中松派に所属し、党執行部の役員を歴任。かつ井上幸太郎元首相の秘書を務めたこともある人物だった。聡明は父親の敏正と肩を並べるためには、芸能界での影響力に加え、政界の人脈を利用することも視野に入れていた。その後は、清水との食事の機会を増やし、完全に取り入ったふりを続けた。そして、何としてでも柏葉との接触を図ろうとした。その時の聡明の頭の中には、芸能人としての「箭内聡明」ではない、新たなセルフイメージが浮かび上がりつつあった。

「あれって、箭内聡明じゃない?」
 広場に次々と集まり始めていた若者たち、それも300人は下らない群衆の中で、ひと際輝くオーラを放つ人物の姿を目にとめた紅が、隣の愛斗に尋ねた。愛斗はスマートフォンに目を落としたまま、紅の声に反応を示さない。
「愛斗ってば!」
 無視されたと思い、愛斗の耳元で大声で叫ぶと、愛斗は小さな体を大きくびくつかせ、
「なんだよ!」
 と怒鳴った。
「だから、あれ」
 愛斗は紅が指さす目の前の群衆よりも、箭内聡明の姿をYouTubeでリアルタイムで配信している動画を見ていた。動画のチャット欄には次々とコメントが流れ、やがてそれに合わせるかのように、群衆の若者たちの間から「聡明コール」が沸き起こり始めた。
ソーメイ! ソーメイ!
 黒服たちが、モーセの海割りのように人波をかき分けて道を作り、導かれるように広場に鎮座するハチ公の銅像の前までたどり着いた聡明は、銅像を背に振り向くと、おもむろに高く手を上げ、群衆の声援に応えるように白い歯をこぼしながら手を振った。
ソーメイ‼ ソーメイ‼
 ますます群衆の声の圧力が大きくなり、広場のボルテージが上がっていく。まるで、革命前夜のようだった。
 黒服の男の1人、梁川大志やながわたいしが周囲を警戒しながら聡明の足元にかがみこみ、右手に下げていた大きな黒のアタッシュケースを開くと、中から折り畳み式の踏み台を取り出した。梁川が慣れた手つきで素早く踏み台を組み立てると、聡明は「ありがとう」と、周囲にもはっきりと聞こえるような声で梁川をねぎらった。聡明は踏み台に上がり、ゆっくりと群衆を見回した。もとの身長に加え、踏み台の高さ約45センチが加わったことで、聡明の視線はさながら、殿上人となった。だが、そのチャコールグレーの瞳には、特定の個人の顔は誰一人、映り込んではいなかった。聡明が捉えたのは、あくまで群衆だった。そしてこの群衆こそが、これからの「箭内聡明」を築き上げるための人的資本になり得るものでもあった。

「ねえ、なんでこんなとこにいるの?」
 群衆の声に負けないようにと、自然紅の声が大きくなる。
「――ゲリラライブだな。でも、この人の集まりよう。自分のサロン会員にはちゃんと告知してたんだろう」
 愛斗が冷静に分析するのをよそに、
ソーメイ‼ ソーメイ‼
 変わらず群衆は、聡明コールを続けた。 
 
 聡明は再び手を高く上げると、今度は群衆に向かって落ち着くようにと、開いた両の手を上げ下げしてみせた。すると、群衆のコールはボリュームのつまみをゆっくりとひねったかのように徐々に静かになり、パーティー会場のがや程度に落ち着いた。端から見た聡明のその姿は、指揮台の上に立つマエストロのようだった。となれば群衆は、マエストロの合図を待つオーケストラだった。愛斗たちや物見遊山の者たちを除き、群衆の視線はますますに、聡明ただひとりに注がれていった。

                               つづく

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