【連載予定】「届けるつもりのない、あなたへの投壜通信」#0 ~投函前の心境について~
はじめに
「投壜通信」という言葉を初めて知ったのは、講談社の文芸誌「群像」に連載されていた、伊藤潤一郎さんの『「誰でもよいあなた」へ 投壜通信』を読んだことがきっかけです。
投壜とは、簡単に言ってしまえば、様々な事情により、海へと投げ込まれた瓶詰の手紙のことです。似たものとして、風船に手紙を括りつけて飛ばす「風船飛ばし」というものがありますね。宛先はなく、誰かに届く保証も、当てもない中で出す手紙。果たしてそれは、手紙と呼べるのか分かりませんが、実は僕たちは何かを書く時、全く誰にも読まれないことを想定して書くことはありません(出来ません)。
――いやいや、日記は誰にも見せないし、SNSの裏垢は墓場まで持っていくつもりだから。
確かに、両方とも書いている(呟いている)あなた以外が読むことはないかもしれませんが、何よりもまず、書いているあなたが、一人の読者として読んでいることを忘れてはなりません。日記は誰かに向けて書いていないつもりでも、暗黙の裡に自分に向けて書いているものです。その自分とは、自分の中の他者に他なりません。
そもそも、書くという行為、話すという行為自体が、他者に向けられたものであることを自覚すべきです。自分一人で世界が完結しているなら、言葉と言うものは必要ありません。それに独り言というのも、思わず言葉に出しているようでその実、自分=自分の中の他者と対話をしているようなものです。
伊藤さんの本作については下記の通り、KAZEさんが詳しく紹介してくれていますので、この場ではこれ以上触れません。
あなたとは誰のことか
「あなた」のことについては、プライバシーの関係上、名前も素性も明かすことは出来ませんが、ある一人の人物を想定しています。フィクションのキャラクターではなく、血の通った実在の人物です。ですが僕は、その「あなた」へ、この投壜通信を届けるつもりはありません。偶然、このページを開き、目にする可能性は全くないとは言えませんが、僕が「あなた」のことを考えながら書いているとは夢にも思わないでしょうし、それに「あなた」のことだから、まずこのページを見つけることはないと思っています(そう言うことを言うと、怒るでしょうか)。
今、一人の実在の「あなた」を想定していると書きましたが、その「あなた」は、これから書いていくにつれて、その適用範囲が広がり、「あなた」以外の人たちも含んでいくのではないかとも思っています。「あなた」と共通した境遇や価値観、考え方を持っている人ならば、僕が「あなた」に向けて書いたものが、他の「あなた」へも届くかもしれません。ですが基本的には、この世界に生きているたった一人の「あなた」へ向けて、届けるつもりもないのに書いていきます。
これは創作かエッセイか
noteでは、多くの方々が「自己紹介」をされていますが、僕は「自己紹介」と言うものをプロフィール以外では行っていません。今後、書いても良いかもしれないとは思っていますが、紹介するほどの「自己=経歴」はないと思っていますので、素で自らのことを語ることは、ほぼないかもしれません。ですが、その例外として、ここでは素の自分として、この投壜通信を綴っていくつもりでいます。それは何よりも、そうすることが「あなた」への真摯な態度だと思うからです。
これまでに何本か拙い短編を書いてきましたが、何も小説を書くのに飽きたというわけではありません。シンプルに、誤解を恐れずに言えば、キャラクターたちの傀儡となるのではなく、自分の視点で何かを書いてみたいと思ったまでです。そこでふと、では何について書こうかと思った時に、自然と「あなた」のことが思い浮かび、その「あなた」に向けて、何かを書いてみようと思いました。
正直まだ、これから書いていくことが、どのようなジャンルの文章となるのかは分かりません。決めてもいません。創作が混じる場合も、エッセイとなる場合も十分に考えられます。ですが、全くの嘘は書かないつもりです。そのことだけは、「あなた」と、この文章を読んでくれている方々には、この場でお約束します。
おわりに
今、ここまで書いた文章を、最初の試みとして、くるくると筒状に丸め、瓶の中に詰めました。あとは、足元に広がる青い大海原へ、思い切って放り投げるだけです。
――さて、気持ちの準備は出来ました。僕はこのまま、船の上で行き先の分からない航海を続けます。そして、あてどもなく、思い立ったときにまた、投壜通信を綴りたいと思います。
決して届けるつもりはない、あなたへ向けて。
つづく
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