なぜ日本馬は、凱旋門賞で勝てないのか?①
日本馬の歩み~スピードシンボリからシンエンペラーまで~
1969年。スピードシンボリに始まった凱旋門への挑戦。
時は流れ、世紀末の1999年。
彗星のごとく現れたエルコンドルパサーは、惜しくもモンジューの2着。しかし、のちに述べる母系の血統(サドラーズウェルズ)の通り、パリロンシャンへの適正を示した。
2006年。第85回凱旋門賞。
圧倒的なパフォーマンスで3冠馬となり、「日本近代競馬の結晶」と謳われたディープインパクトが、満を持して出走。出走馬は、同年のパリ大賞典(G1)、ニエル賞(G2)を連勝して臨むレイルリンク。前年7着に敗れながら、同年のサンクルー大賞(G1)を制し、前哨戦のフォア賞(G2)を3着とまとめたプライド。前年の凱旋門賞馬ハリケーンランを含む8頭。重や不良が当たり前のロンシャンにあって、この年の馬場は良。ディープにとって、これ以上ないコンディションと言えた。
まるで、エルコンドルパサーの軌跡をなぞるように、武豊はこれまでの末脚に掛けた戦法と異なる先行策を選択。フォルスストレート(偽りの直線)を過ぎ、最後の直線を迎えても、その走りには余裕が見えた。
残り350mを過ぎ、武豊が仕掛ける。合図に応え、ディープは加速。先頭に立つ。が、外からレイルリンクが強襲。間もなく並ばれ、叩き合いとなるも、レイルリンクの脚色が増さる。さらには、その外からプライド。ディープは3着に沈む(入線後、失格)。ディープインパクトでもダメなのかと、その壁、いや、凱旋門の厚さを嫌と言うほど思い知らされることになる。
2010年のナカヤマフェスタの2着を挟み、2年後、早くも悲願達成のチャンスが巡ってくる。黄金色の芸術(あるいは金色の暴君)こと、オルフェーヴル。
圧巻は、不良馬場となった2011年の日本ダービー。多量の雨が降りしきる中、札幌2歳S勝ち馬のオールアズワンが果敢に逃げを打ち、隊列が縦にばらける。オルフェーヴルは、1番人気のサダムパテックをちぎって制した皐月賞同様、後方待機。勝負は4コーナーの直線。不良馬場をものともせず、馬群の中ほどからじわじわと伸び、抜け出す。上り最速のウインバリアシオンの追随を許さず、2冠達成。まるで通過点と言わんばかりに菊花賞、有馬記念を先頭で駆け抜け、翌年の天皇賞(春)では11着となるも、宝塚記念ではルーラーシップを退け、その強さを改めて証明。フランス遠征後、ステップレースのフォア賞を難なく快勝し、凱旋門制覇への弾みをつける。
そして訪れた、第91回凱旋門賞。不利と言われる大外18番ゲートを引くも、終始後方でじっと足を溜め、爆発的な加速力を発揮させる瞬間を待つ。騎手のスミヨンが500m付近から外に持ち出し、持ったまま加速。早くも、300mで抜け出す。200m。そして、100mを過ぎても先頭を譲らず、残り50m。誰もが悲願を夢を見たゴール直前、外から13番人気のソレミア。瞬く間に交わされ、一瞬にして夢、破れる。
翌年、再挑戦となったオルフェーヴルの2着(キズナ4着)を最後に、長らく掲示板すら遠ざかっていた日本馬の挑戦だったが、昨年の良馬場開催で、G1未勝利ながら(宝塚記念2着)、オルフェーヴルと同じステイゴールドの血を引くスルーセブンシーズ(牝5)が、4着と健闘した。
そして、先日の10月6日に行われた第103回凱旋門賞。日本からは、凱旋門賞馬のソットサスを全兄に持つシンエンペラー(牡3)が出走。
シンエンペラーは、2年前のフランス・ドーヴィルのセールで、矢作芳人調教師が落札。購入時には、その血統背景から「凱旋門賞に連れて帰ってくる」との発言もあった。
昨年11月、東京競馬場の芝1800mでデビュー。勝ちタイム1分48秒1、上り3F、33,8で快勝。同月、京都2歳S(G3)に挑むと、重賞初制覇を飾る。年末のホープフルSでは、後方から猛然と追い込んで来たレガレイラに敗れ2着。年明け、皐月賞トライアルの弥生ディープ記念では、コスモキュランダの2着となるも、地力は示す。続く皐月賞では、後に逃げて神戸新聞杯を制するメイショウタバルが作り出したハイペースに戸惑ったか、中団から追走するも、最後に伸びきれず5着。
迎えた日本ダービーでは、皐月賞でのパフォーマンスもあり、7人気と過小評価される中、最終4コーナーの9番手から、馬群を縫って持ち前の末脚を発揮。上り3F、33,4で、ダノンデサイル、ジャスティンミラノに次ぐ3着と善戦した。
この結果を受け、矢作調教師は凱旋門賞行きを決断。その後のインタビューでは、「現実に有力馬として連れて帰ってくることができたということは奇跡的な確率だと思うんです」(日刊スポーツより)と語り、凱旋門制覇のチャンスがあるとした。
前哨戦のアイリッシュチャンピオンステークスでは、最後の直線で進路をふさがれ、仕掛けが遅れるも、日本ダービーで示したような末脚を伸ばし、3着。惜しくも敗れたが、凱旋門賞への格好は付けた形となった。
10月6日。パリロンシャンの天候は曇り。馬場は重。仏ダービー3着を経て、パリ大賞、ニエル賞を連勝で飾り、有力馬の一頭に上がっていたソジー(牡3)の陣営は、馬場のコンディションを警戒。ほか、今年の仏ダービー馬のルックドゥヴェガ(牡3)、重馬場巧者で前走ヴェルメイユ賞を勝ったブルーストッキング(牝4)、武豊騎乗のアルリファー(牡4)らが有力視されていた。
シンエンペラーのオーナー藤田晋が代表取締役を務めるAbemaTVでは、世紀の瞬間を見守ろうと、生中継を実施。ゲストに、昨年騎手を引退し、調教師となった福永祐一、リバティアイランドで牝馬3冠を達成した騎手の川田将雅が出演。それぞれ、ジャスタウェイやハープスターでの挑戦の経験から、ロンシャンのコース形態や馬場の特徴などを語った。
現地時間16時20分。発走時刻。全馬、遅れることなくゲートに収まり、スタート。先行争いの中、アイリッシュチャンピオンステークスで4着に敗れたロスアンゼルスが抜け出し、先行の形を取る。先頭集団には、ブルーストッキング、ソジーらが付け、隊列が落ち着く。シンエンペラーは先頭集団を見る形で、中団に位置。JRAがYouTubeで出している坂井瑠星騎手のジョッキーカメラを見る限り、馬が蹴り上げた泥が飛ぶほど、馬場はかなり荒れているのが分かる(最後の直線では土煙が上がるほど)。そして残り400m。ロスアンゼルスをかわし、ブルーストッキングが先頭に躍り出る。同時に、中団にいたアヴァンチュールがじわじわと伸び、前のソジーを捉え、抜き去る。残り200m。後方勢の追い込みは厳しく、勝負の行方は4頭に絞られる。シンエンペラーは伸び脚が付かない中、他馬に寄られ、失速。レースの結果は、図らずもヴェルメイユ賞の再現となった。
勝ちタイムは、2分31秒58。2019年に同じく重馬場で、伏兵のヴァルトガイストが制したタイムに近かった。
フランスギャロが発表した凱旋門賞の上り3Fのラップタイム(日刊スポーツより)は、
1着 ブルーストッキング(2分31秒58)11秒50-11秒44-12秒11=35秒05
2着 アヴァンチュール (2分31秒77)11秒56-11秒35-12秒05=34秒98
3着 ロスアンゼルス (2分31秒99)11秒69-11秒35-12秒28=35秒58
と、なっている。
対し、シンエンペラーは(2分33秒48)11秒74-11秒90-12秒90=36秒55
最初の1Fこそ、ロスアンゼルスに迫っているものの、その後、わずかに減速。ラスト1Fに至っては、明らかな失速と言っても良いラップタイムとなっている。
レース後、矢作調教師は敗因について、悔しさを噛み締めながら、「ちょっと掴み切れない」(東スポ競馬)とコメントした。
凱旋門賞制覇を目指して、すでに50年余り。これまでに30頭以上の日本馬が挑戦し、最高で2着。ここまでして、惜敗と惨敗を繰り返す要因はどこにあるのか。好走した日本馬の共通点は何なのか。競馬歴3年の素人ながら、それらについて考えてみたい。
つづく
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