映画『まる』を観て呟き
『まる』2024年10月18日公開
監督・脚本:荻上直子
出演:堂本剛、綾野剛、吉岡里帆、柄本明 他
2024/11/6(水)鑑賞
2024/11/7(木)執筆
綾野剛さんが出演すると聞いて気になりつつも観に行く気分になれずにいたところ、公開三週目限定で「劇場でしか観られない特別メイキング映像」が見られるとのことだったので出遅れて足を運んだ(興味はあるけどコンディションがなかなか整わず手を出せないことあるよね?)。
以下、感想。
最初の30分くらいはひどく静かな作品だなと思った。沢田が自室にいる時も外出してる時もほぼ無言でこれ大丈夫かなと要らぬ心配をした一方、リアリズム演劇が好きな心の中の自分は満悦していた。自室で生活音しかなかった(と記憶してる)シーンとか良さを噛みしめてた。
キャラメルポップコーンを買ってしまったのは少し後悔した。塩だと食むようにすると比較的咀嚼音が抑えられるんだけど、キャラメルはソースがかかってる一番美味しい部分を食べようとするとカリっと音が鳴ってしまうから。
質屋(ではない)の店主片桐はいり!?全然気付かなかったしエンドロールで名前を見てもどこにいたのか全然思い当たらなかった。古道具の中に溶け込んでた。
おいでやす小田、ヤな奴!(吉村という役名より本人のイメージの方がずっと強いのでそっちの名前で呼んでしまう)
直近で中国人の多くは円熟な性格で情熱や若さを持ち続ける30代を嘲笑うということを学んだが、日本も大して変わらない。
コンビニでの会話は沢田だけじゃなくてその場にいない横山や創作をする他の人たちも間接的に馬鹿にしてたのムカつくな。と言いつつ、自分に全くそのような感情が芽生えないかと問われれば否なのが悔しいし申し訳ない。
沢田が山吹色好きなのなんかかわいかった。
横山、日常生活で出会ったら避けてしまうタイプの人間かもしれない。情緒が激しいの怖い。
取り返しがつかないと分かっていても現状を打開する手段は思いつかずどうしようもないとき、うわー!ってなるのはとても共感する。自分のこと殴ったり歩道柵に後頭部打ち付けたり、無心で自傷みたいなことしちゃうのも分かる、けど、客観的に見てなんて痛々しいんだろうと思ってしまった。
「なんで漫画家なんか目指しちゃったんだろう」っていう呟きに、そんなこと言うなよまだ大丈夫だよ、と軽々しく言えないのが何とも。そんな励ましは無意味だってことを沢田も理解してたから返事しなかった、できなかったのかもしれない。
沢田はなんとなく生きられてしまう人間だけど、横山はそれが無理な人間なんだろうな。働きアリの法則も出してたし。不器用な人間。
スタジオで咄嗟にした深海魚を踏まえた円相の説明は所詮後付けだよなーともやもやした。まあ後付けじゃない説明の方が少ないのかもしれない。今書いているこれだって映画観てるときに浮かんだぼんやりした気持ちに、言葉にするためにシーンを何とか思い出して理由付けしてるのだから。
円の流れ続ける動きは捕らわれのない心の表れらしいが、発端はアリを閉じこめる意図でなんとなく描いたものなんだよな。前者は円を描くときの線の動きの部分つまり円環に着目してるけど、後者は円の線で区切られた外側と内側を見ていてなんだか面白いなあと思った。
円相団体に囲まれて抜け出せなくなってたのも後者か。
沢田の隈が生々しくて顔に覇気がないように見えたのが堂本剛の表現力すごいと思った(勿論メイクの力もあると思うけど)。覇気のない顔は結構序盤からだけどどんどん悪化するのが気の毒だった。
芸術家が自由に表現することよりも求められるものに答えなければならなくなってしまっている現代への反発をテーマとして受け取ったんだけど、それと円相を繋げる創造力に感心した。
豚さんが出てきた理由をなんとなく考えて、芸術家がパトロンの言いなりになるのは良くないよな、と思ったが元々両者の関係性ってそれに近しかったっけ。
展示された円相に巻き込まれたアリの死骸は取ることができなかったけど、ベランダで絵を描いたときにはキャンバス上のアリを摘まんで逃がしてあげられて良かったね。何が良かったのか分からないけど。
茶室の背景の窓、見事な丸さで綺麗だったな。
横山と壁越しに話していつの間にか眠ってしまった時の寝顔がなんというか、安らかとはちょっと違うんだけどお疲れ様、と言いたくなってしまった。よく分からないままよく分からない状況の渦に巻き込まれ流されてずっと緊張してたんだろうな。自分を見失いそうになってた時に横山の問いかけに答える形で本心を言葉にしたことで根を下ろせた安心感のようなものもあったのだろうか。
沢田寡黙で思いを胸の内に仕舞ってきた人間だろうから、思いを口に出したというあの瞬間が転機になったのかもしれない。
芸術家は情熱を心の中に秘めているみたいな風潮あるけど沢田はそうなのかな。絵を描くことへの執念や静かに燃える炎みたいなものを沢田からは感じなくて、でも自由に絵を描くことを欲していて、人間の心情って一言で片付くほどそう簡単じゃないよなーと思った。でもこれは台詞量が少なかった沢田の表面しか見れてない感想なのかもしれない。
おかえり・お疲れ・おやすみの三連コンボかました時、横山の本当の人と成りが垣間見えた気がした。
コンビニに訪れた横山を見て初めて、この人の恰好なかなかやばいなと思った。いや、なんかそれまでは一種のおしゃれとして見れてたのか綾野剛が着こなせていたからなのかはたまた横山の突飛な言動のせいか何も思わなかったんだけど、コンビニという均質なものとのギャップで違和感が帰ってきた。何だあの格好。
売れる漫画家は感性が常人と違っていてそういう人はセンスも奇抜で、みたいな連想からあのファッションスタイルになったのかな。形から入るタイプ。
ギプスの落書き、横山さあ……。
横山のこういうところ、お茶目と言うより精神年齢が子どもって感じがする。
モーさんのおかげで福徳円満・円満具足覚えましたよ。仏教の言葉って語呂良いのが多い。
福徳円満、物理的にも精神的にも満ち足りていて幸せな様子のことらしい。『まる』を観たらそんな人間いるのかなって考えてしまう。でも、足りないことに悩むより福徳円満って思い込んだ方が楽なのか。
ラスト、次は「さんかく」の物語が始まることを予期させる終わり方で、作品に通じてあった素朴さが感じられた。この映画に求められているのは大層な終わり方じゃないよな(腕組み)。
エンドロールで流れた絵は沢田作と考えてもいいやつですか?どれも凪いだ雰囲気があって、作中の沢田の言動に通ずるものを感じた。
スクリーンに対して中央の距離も良い感じの座席で観られたんだけど、あの時は美術館でアートを鑑賞しているような気分になれて良かったな。周りに他のお客さんもいなかったので、静かに一人絵を観ているときとほぼ同じ感覚だった。
終盤が田舎の風景だったのもあってどの絵も田園や水平線に見えて穏やかな心を感じた。確か最後の写真、グランジュッテしてる人が見えたような気がして一番好きだった。
公式サイトのスワイプしてまるの中に入り込んでいくような仕掛けが面白くて、初めてエンドロールでホームページ作成者に注目したかもしれない。
メイキングで堂本さんが言ってた「うるさくないように」「ちょっとした勇気になれば」っていう言葉がすごいしっくりきて、説教臭かったり教訓めいたりしたものの影がないことが鑑賞中にストレスを感じなかった理由なのかなと思った。沢田もそういうキャラじゃなかったし。
鑑賞後夜道を歩くときの心持ちが重くもなくかと言って軽くもなく、なんだか不思議な気分だった。