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「本心」映画感想:本心は分からなくてもよい

原作:平野啓一郎
監督:石井裕也
主演:池松壮亮

平野啓一郎さんの小説「本心」は1年前くらいに読みました。
原作はとても衝撃的な作品であり、映画化されたなら是非と思い、劇場で見てきました

この後は映画のあらすじなどは省き、感想を述べていきます
※ネタバレを含むので注意

詳しくはこちら「https://happinet-phantom.com/honshin/#cast

演技などについて


主演の池松さん、母親役の田中さん、イフィー役の仲野さんの演技は、原作でのイメージそのままといった感じで、演技力にとても関心しました。特に、VFとしての母親のあの何とも言えない表情が印象に残りました。
また、ディナーのダンスシーンで流れていた音楽も雰囲気にマッチしていて好きでした。

ただ、個人的には原作を読んだ時に感じた
自由死を選ぶと言った母親に対する気味悪さ、不信感
主人公の理解できない感、マザコン感(ひどい・・笑)
独身息子と母親との同居生活
の描き方の上手さが印象に残っていましたが、映画ではそこが感じにくかったのが残念ではありました

分人主義

映画の感想の前に、原作の最大のテーマと思われる、分人主義について触れておきましょう。
分人主義は原作者の平野啓一郎さんが考えた概念で

私たちは、会っている人によって、立場によって、環境によって、自分の人格が変わる。時には、敢えて変えている。この一つ一つの人格を「分人」と呼び、本当の自分はひとつではなく、いくつもの分人の集合体が個人であり、分人の構成比率が重要だと考える

https://k-hirano.com/honshin

という考え方です。

母親のことは一番近くにいる息子(朔也)が最もよく分かっていると思うかもしれないが、それは「家で息子と対面している時の人格」に過ぎず、母親には息子が知らない人格を数えきれない程持っている。ただ、息子はそれに気づけない。

息子と対面している分人としての母親だけをみていた朔也は、母親がなぜ自由死を選んだのか理解することができなかったのだろう。

そこで、母親が亡くなった後に、母親に関する情報(主人公が知らない母親の分人)を集約してVF(ヴァーチャルフィギア)を作成したが、自分の知らない分人がそこには沢山含まれており、より混乱してしまった

この作品は自分が一番理解していると思っていた母親が、全く予想できない行動(ここでは自由死を選んだこと)をしたことに対する違和感、憤り、不信感、興味などの感情とそれにどう折り合いをつけていくのかが、個人的にはメインテーマではないかと思います。

映画の感想 原作との違い


残念ながら映画からはこのメインテーマを突き詰めている感じが、あまり感じられませんでした。
どうしても、原作の内容を2時間弱の映画の中にまとめようとするとテーマが分散してしまい、内容が薄くなってしまうのだと思います。そこが少し残念でした。

また、母親だけでなく、三好さんやイフィーの他者性・本心、あるいは主人公の朔也の本心も付随するテーマとして重要だったと思いますが、残念ながらそこも十分に描けているとは思えませんでした。
特に、朔也の本心を三好さんに伝えられなかったことへの葛藤は、イフィーと三好さん、本人の三角関係の葛藤の部分が短すぎて、映画だけでは伝わりにくいのではないか、と思いました。
そもそも、朔也自身も自分の本心に気付けていなかったのかもしれませんが

本心を知るのは困難

医療の場面でも本心とは何か?という疑問によく突き当たる

終末期の患者に関する延命の議論(胃瘻を作るかどうかetc)
ACP(個人の価値観や本心に基づいた将来の医療行為の選択に関して)

家族だったとしても、その人のすべての分人を理解できないし、
一つの分人だけを切り取って、その人の本心を推し量ったり、代弁することは適切とは言えない

もしかしたら、家族よりも友人や他人(看護師やヘルパーも含め)の方が、その人の多くの分人を知っているかもしれない
さらにいうと、自分自身も本心が分かっていないかもしれない

本心を知る、他人のことを理解するというのは想像以上に難しいことです

VFが実現したら


VFというものが現実になったら、これはとても面白い(あるいは混乱を招く)と思いました
その人の分人に関する情報をできる限り集めて、VFを作った場合に、そのVFがどのような選択をするのか、その選択に関してどのような理由付けをするのかが分ると、終末期の意思決定に大きな影響を及ぼすかもしれません。
VFが代理意思決定者になり得るのかという議論にもなりそうです(なり得ないとは思いますが)
VFを作成する会社にCOIがあると大きな問題になりそうですが・・

家庭医としてできること

家庭医は医師なので、その人の人格を評価や価値観を評価する専門家ではありません。
家庭医の説明として「あなたのことを一番わかっている医師」とか「あなたの専門医」とか言われることがありますが、外来で1-3か月に5-10分程度、訪問診療で月2回程度会うだけでその人のことを理解するなんて到底できないし、その人を分かった気になってはいけないとこの映画を見てさらに思いました。

特にぼくはコミュ障なので、医師である自分が深入りしてその人を分かった気になるというのは危険だと思っています。もちろん患者が自分に見せる分人を理解しようとする努力は最大限にしますが。

あなたのこと(本心)がコミュ障で分からなくても、あなたがあなたらしい選択をして生活を送れるような意思決定やサポートを医療面からする専門家というくらいがちょうどよいのかもしれません。
必要な情報(その人の色んな分人)は医師だけでなく、多職種(看護師、ヘルパー、ケアマネ、リハビリスタッフ等)や友人、家族、親戚その他から集めて、可能な限りその人の本心に近いものを類推する。それができることなのでしょうか?

さいごに

映画では主人公の朔也は母親が自由死をした理由(本心)を最後まで知ることは無かったですが、母親は息子に理由を伝えない方がよいと思ったからこそ伝えなかったのでしょう。それが母親の選択だったのです。
母親の本心を探る過程で、今まで知らなかった母親のことが分かってしまった。母親の全てを知ることが必ずしも幸せにはつながらなかったかもしれません。

私も、妻や両親、子供の全ての分人を知りたいとは思いません。
知らない方が幸せなこともあるんでしょうね。

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