褒めることの影響力

 ふと疑問に思ったのだが、何故自分はゲームが好きなんだろう。これの答えは「ただ好きだから」と言うのが最善な気もするし、事実そうである気もする。しかし、やはり少なくともきっかけになることは必ずあるわけで、それが何なのかこれまでの記憶を辿ってみると、「誰かに褒められたから」が非常に大きなきっかけになっている気がするのだ。
 僕はゲームを2歳の頃からやっている。流石に2歳頃はただボタンを押しているだけだったと思うけれど、物心つく前からゲームは大好きだった。特に当時はマリオやドンキーコング等のアクション系にハマっていて、wiiリモコンを一心不乱に振っていたのを覚えている。そして、僕のゲームに対する意識を変えるきっかけになったのが「ドンキーコングリターンズ」だ。正確に言うと、僕がドンキーコングリターンズで遊んでいるのを見ていた母親の一言が大きなきっかけだった。
 今思えばドンキーコングリターンズは何気に操作するのが子供には難しいゲームだったと思う。マリオだったら出来ることは
1.ジャンプ
2.ダッシュ
3.ファイアボール等の特殊アクション
とせいぜい壁キックぐらいだったと思う。
 だがドンキーコングは
1.ダッシュ
2.ローリング
3.ディディコングのホバー
4.樽、特定の敵を掴む
5.ドラミング(地面叩いて相手を混乱させるやつ)
6.息を吹く(風車とか風で動くタイプのギミックを動かすためのアクション)
と、この6つのアクションを結構な頻度で各ステージで使う。しかも一部のステージには、サイに乗ったり、ロケットに乗ったり(これが特に難しかった)をするので、求められる操作は意外にも多い。
 僕は保育園生の時にドンキーコングをやっていたので、ゲーム経験がない母にとっては操作方法をすぐに覚えていた事が衝撃だったのだろう。それを見た母は僕に「もう覚えたの?すご!」と言ってくれた。母の凄いはハードルがだいぶ低いので何気ない一言かもしれなかった。けど、当時の僕にその一言は深く心に刻み込まれた。
 当時からスポーツも興味がないし、好きなのはトムとジェリーとゲーム。特に凄いと言われることもした記憶がない。勿論保育園で描いた絵を見せて褒めてくれるなんてことはあったけれど、あれは必ず褒めてくれる物だと思っていた。だから褒められても嬉しいけれど当然の結果だと子供ながら思っていた。今思えばとても恵まれた思い込みだったと思う。けどゲームで褒められるというのはそんな僕でも予想外のことだった。相手が本当にすごいと思って評価されるというのは嬉しい。それが自分にとっては普通のことだと思っているものは尚更嬉しい。僕はそれがゲームで、それ以外当時はなかった。いや今もかも。


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