映画『天使の涙』にみる香港90年代ファッションと退廃美
ウォン・カーウァイの映画表現におけるクライマックスの思慮深さ、時として感傷的な深みは、
どんな官能的な表現よりも
強烈な色気の芳香と大人の余韻に満ちた独特の味わい深さを感じさせてくれます。
人と人との距離感という余白。
その余白の距離を想像すること。
『天使の涙』は私の感性に強烈な色彩を与えてくれた作品であると同時に、
SNSで誰とでも繋がれる現代において、誰かが誰かを想うこと、
想像するという感覚の素晴らしさに改めて回帰させてくれる、温もりと哀愁に包まれた大切な作品であります。
私がこの作品で強烈に魅せられた二人の人物、
孤独な殺し屋として香港のネオンと暗闇の狭間で印象的な"黒"を纏ったレオン・ライと、
その殺し屋に想いを寄せる依頼者を演じ、ランウェイ衣装さながらのストリートスタイルで強烈なアティテュードを示したミシェル・リー。
90年代香港、彼らが纏ったアイコニックなファッションにフォーカスを当てながら、
世代を超えて愛され続ける『天使の涙』を90'sムード漂うスタイリッシュなビジュアルと共に振り返ります。
ストーリー
レオン・ライのストイックな黒のワードローブ
ー「彼女にとっても俺は通過点だ。彼女を愛する男を早く見つけてほしい。」ー
殺し屋(レオン・ライ)に恋をした金髪の女(カレン・モク)との行きずりの関係に終止符を打つ、レオン・ライによる哀愁漂う台詞。
劇中でレオン・ライが纏ったワードローブはインナーの白のメッシュタンクトップに黒のシャツ、
黒のセットアップをレイヤードしたムーディーな装い。
深く開いたインナーの胸元にエッジの効いたシルバーのチェーンネックレスを合わせ、
絶妙に洗練されたチェーンの輪郭が殺し屋としてのクールな存在感を際立たせます。
ハードなイメージのアイテムも清潔感すら感じさせるのはその優しさと憂いを秘めたクールな役柄故だろうか。
大人のスマートさと暗殺者としての冷酷さを併せ持つアンビバレントな要素。
洗練のムードと虚無の色気を醸すレオン・ライのストイックな黒のワードローブは最高にクールの一言。
メンズファッションとしてのインスピレーションは勿論、スタイルアイコンとして抜群の存在感を放ちます。
ミシェル・リーのシャープで挑戦的なワードローブ
記事冒頭のミシェル・リーによる"永遠の暖かさ"の刹那を表現した印象的な台詞はこの映画のマスターピース。
彼女が経験した刹那的な恋を"堕落"と捉えるか、
"希望の光"と捉えるかは、疾走するバイクと共にトンネルを抜けた夜明けの香港の空によって観る者に委ねられます。
Z世代やデジタルネイティブを中心に再燃したY2Kの勢いそのままに、
「なぜ今、天使の涙なのか」が私の中で凝縮されるミシェル・リーの色褪せる事ないシャープで挑戦的なワードローブ。
ボディコンシャス、チェーンバッグ、柄のトップス、レザージャケット、サングラス…
クールなアイテムを中心に構成された彼女のアイコニックなワードローブの数々は、現代衣服の視点から見ても抜群の切れ味とカッコ良さがあります。
香港90年代アンダーグラウンドに愛を込めて
香港返還を目前に控えた都市のエネルギー。
様々な国の文化が入り混じる90年代香港独特のザラついた空気感。
カーウァイが切り取った若者たちの刹那的な生き方と瞬間の爆発力。
香港ストリートを叙情的かつスタイリッシュに撮影したドイルの映像美…
ウォン・カーウァイとクリストファー・ドイルのタッグがあまりに有名なカーウァイ映画ではありますが、
カーウァイ組で美術・衣装デザイン、アートディレクターを長年担当し、後に『花様年華』でカンヌ映画祭技術大賞を受賞するウィリアム・チャンこと張叔平の"仕事"に強烈なインスピレーションを受けました。
エージェントが殺し屋の部屋でむせび泣き、涙で滲むマスカラ。
このシーンでミシェル・リーが着用していたシースルーのドレスや、「金髪の女」カレン・モクが纏う印象的な東洋的デザインのワードローブは、VIVIENNE TAM(ヴィヴィアンタム)を彷彿とさせるモダンアートとクラシックの融合さながらのデザイン哲学を感じさせるのは非常に興味深く、
ウィリアム・チャンの美術・衣装デザイン、その細部に散りばめられた時代を追うごとに新しい色彩を与えてくれるタイムレスな魅力と、
いつまでも輝きを失わないアートディレクションの美しさがこの作品をより感度の高い芸術作品に仕立て上げているのだという、新しい角度からの発見がありました。
分かりやすく言うのならば張叔平、変態すぎるということになります(語彙力皆無)
退廃、官能、慟哭、混沌、九龍の夜明け、天使の涙
人は時として、
自分の価値観を激的に変えてくれる、
そんな強烈な出逢いが歩みの中で必ず待ち受けるものだと思っています。