吐いた唾は飲み込めないから、一生口を閉ざしていたい

推しているジャンルのコラボ企画。企業が初手でミスするとネット上では罵詈雑言の嵐だ。今回は前回の反省を生かして上手くことを運んだようで、何故か自分がホッとした。
こういう時、世間の熱い手のひら返しにガクガクする。でも手のひら返しして謝罪したり見直したぞ的なことを言う人はまだいい方。
大半の人はボロッカスに言ってそのままだ。
一度吐き出した言葉も文字も、消えないのに。つけられた傷は消えないのに。
いつもそんな感じで、自分が加害者になるのではないかと怯えている。画面の向こうには生きている人間が確かにいる。そんな当たり前が希薄になる瞬間が怖い。

昔SNSをやろうと思ったのは、友達が欲しいという大変恥ずかしい理由からだった。大人になってからの新しい友達が出来たら、何か変わるんじゃないかと淡い期待をしていた。
そして見事に打ちのめされた。
あわよくば同じ趣味の友人を作りたいと、二次創作の界隈に字書きとして参加したのが運の尽きだった。
勝負事とか上下関係が滅法苦手な奴には難しい世界だった。ただ穏やかに過ごしたいだけなのに、創作においても日常生活においても水面下で暗く淀んだマウント合戦は繰り広げられる。劣等感の塊には辛い。
自分が巻き込まれた時は勿論、蚊帳の外である時すらモヤモヤとしていた。知り合いと知り合いが一目でそうとは分からぬように装って貶し合ったり、チクチクと相手を否定する。そうして周囲はそれぞれの陣営に分かれて援護射撃をして、神輿を担ぐ。
熱狂している時は何が何やら分からなかったが、終わってみれば何だったのだろうという感じだ。どの意見にも心から同感することが出来ず、どっちつかずの自分はただひたすら目を回していた。過激な言動が飛び交うそこは戦場のように感じた。
八方美人故に思ってもないことを言ってばかりで、段々自分の気持ちが分からなくなっていった。そうやって不安にぼんやりしている間にも話題は最新のものへ、最新のものへと次々移り変わってしまう。皆、頭の回転が早すぎやしないか。このスピードについて来られない人間は現代社会で生きるのに向いていないと思い知らされた気がした。

二次創作は究極の自己満足だ。だから自分の作品は自分の為に書き、後はおまけ。自分の好きなことについて書いているんだから楽しいに決まっている。そんないい意味で他人に興味を持たず、己を貫き本当に楽しんでいた人はあの中に何人いたのだろうか。
元々そういう性質を持って生まれてきたか、大変に自己肯定感が安定する環境を幼少期から育んできたか。そうじゃなきゃ難しい気がする。少なくともすっかり拗じ曲がって卑屈に固定された自分には、根本を変えることなど到底無理だった。
人間は他人と己を比べずにはいられない。
そこからどうしても抜け出せず、苦しみながら身を削っていた人も少なからずいたと思う。私から見てすら無理していると感じる人だっていたのだから。わざと大袈裟にリアクションして、同調に疲れ果てて、肝心の創作がおざなりになってしまう。
そして、何が好きだったのかも忘れていく。
どうして皆自分の意見が正しいと主張したがるのだろう。
どうやってついたかも分からない優劣で決まった権力者の意見が優先されるのは何故だろう。
ぐるぐるした結果、これはただの趣味だと我に返って逃げ出した。苦しむことも執着することも虚しい。

そんな中でも友人と言える人はいた。
こちらの作品を好きだと言ってくれて、私もその人の作品が大好きだった。個人的にやり取りする中で、近い未来に叶うはずだった約束もしたし、どこへ遊びに行こうかと相談ばかりしていた。
だけど、それはある日突然終わった。
前日まで楽しく話していたのに、急に音信不通になってしまったのだ。
体調が悪くなったのかと心配していたが、SNSの中でその人はとても楽しそうに活動していた。やがて、色々と思い知る。
自分が一瞬で無価値になり、ポツンと取り残された感覚。天秤にかけられて不要になった方。仕方ないのだ。新しい刺激や、より魅力的な言葉に人は抗えない。
もしかしたら、あの人にも何かしらの無理を強いてしまっていたのかもしれない。自分の言動や振る舞いが相手を傷つけてしまったのではないといいが。今となっては、祈るばかりだ。
結局実際に会うことはなかったけど、元気でいてくれたらいいなと思う。

さよならも言えなかった人がいる。
SNSとはそんな場所だ。
その手軽さが良いということも勿論分かっている。つくづく、自分という人間が時代に迎合出来てないだけなのだ。
他の何も悪くない。自分が悪い。

noteの存在を知ったのは結構前で、何やら分からぬ意識の高さを感じていた。しかし偶然学生時代の知り合いが日常の備忘録的に活用しているのを見て、そのくらい手軽ならいいなと思って手を出した。
多くは何かしらのノウハウを披露する場として活用されるみたいだが、自分には人に教えられることなんかない。いないものとして扱ってもらうくらいが丁度いい。
この中では二次創作がメジャーではないと知り、あぶあぶあぶぶあぶ、と謎に焦ったりもした。足洗ってるのに。
いつでもどこでもどうでもいい些末な文章が書けると思うと、不思議に精神が安定する。
いつまで続くか分からないけど、ぼちぼち活用してみよう。今度は、ちゃんと自分の下らない気持ちだけ好きに書きたい。
それにしても、何かを始める度に今度こそ変われるんじゃないかと期待する自分にはほとほと嫌になる。ここまで来たら、この腐った根性が変わるわけないのに。

過ぎた卑屈は逆に傲慢だと知りながら。
いつまで経っても、何も変わらない。

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