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日本のパープル、紫のコンサート

紫murasaki 『Free』30cm45回転シングルLP


1976年、ブラックモアズ・レインボーとしての初来日で、武道館や大阪でも会場はメチャクチャで、1978年の札幌の悲劇を予感させていた同じ年のこと。
ディープ・パープルのフォロワーとして話題になった沖縄のバンド 紫murasaki の地方公演を観ました。
場所は、栃木県足利市。
私が生まれ育った群馬県館林市からは、準急で1個めの隣町。
話題のバンドを見てみるか、と行きました。
会場は、だいたい千人以上は入るぐらいのとこ。
入ってみて
びっくり。
客は少ない 少ない。
記憶では、100人いない感じ。
私の席は、真ん中のやや前め。
演奏が始まると
ボーカルが、客をジェスチャーで手招き。
会場に分散する客を、前の方に来い、と。
私は
右端から前に進み
右側のPAのスピーカー前を通り、真ん中辺りを目指しましたが
PAからの音圧に、身体が震えたのを記憶してます。
少ない観客ながら
音はメチャクチャデカい感じでした。
少ないながらも、客が前めに集まったことで
メンバーも演奏がやりやすかったように思えた。
途中
客が連れてきた小さい子供をステージにあげたり、和やかな雰囲気でした。

演奏は、というと
確かなテクニックは感じました。

アンコールで
「ハイウェイ・スター」
けっこうオリジナルに忠実な演奏だが
2本のギタリストは、リッチーとは違うギターソロをやっていた。
私が期待したのは
あのリッチーのギターソロを2本のギターでの再現。
あのスタジオテイクのライブでの再現を期待してしまいました。
今朝、ウォーキングで聴いたベスト的選曲での「ハイウェイ・スター」での演奏は、キーボードもギターソロも、まんまパープルのコピー。
しかし、残念ながら、ギターソロはひとりでの演奏。
私が望むギター二人によるツインでのギターソロではなかった。

というわけで 
1976年 たぶん、秋か冬
このさびしい人数ではあるが、温かみのある紫のコンサート
1976年12月の荒れ果てた武道館アリーナでのレインボーのコンサート
翌月
1977年1月の椅子の上に立って観たエアロスミスの初来日公演。
記憶だと
ほぼ同じ時期に観たコンサートでした。

あの観客では
日本のロック、まだまだ食えない時代だったのかな。
演奏力は、なかなかなんですが。

私個人は
前年の1975年夏
ジェフ・ベック目玉の後楽園球場でのワールドロックフェスティバルで観て、知った日本のバンド
カルメン・マキ&OZ
クリエイション
四人囃子
とかのレコードを買い
日本のロックもすごいぜ
と、内田裕也さんの目論み通りになりましたが
地方では、まだまだ、ってとこでした。

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