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掌編小説「ちゅうと、はんぱの、間」


改札前の少し開けたところ、
溶けたチョコレート
無理やり押し固めたようなベンチが四つ
背を向けあって一塊になっている。

屋根はない、から、
昨今著しい夏の暑さを真に受けて
私は座っています。

ICOCAかSuicaかはたまたPiTaPa
改札を抜ける音が
閑散な駅の辺りを啄むように、彩る。

私は改札の方を向いて
わざとらしく
足を組み、眉を顰め、
なにやら気難しい表情で
565ページの文庫本を片手で広げていました。

読んではいません。
一文字一文字散り散りで
上手く繋がらないのです。

当然、私はそれらを順序だてて結んで
混濁の中、確かに沈んでいる物語を
浮かび上がらせん、と
年老いた熟練の魔法使いのように
ぐつぐつ沸き立つ大鍋の前で
指を揺らめかせながら
ある一定のリズムに乗って
唱えています。

が、なんにも起こらないのです。


引きこもり生活も長く続くと
一日中部屋にいるのが
嫌になって
こうして、真夏の昼間に家を出てきました。

けれど、一時間ばかり経つと
一刻も早くあの、
クーラーの効いた部屋で
アイスキャンディーを頬張りながら
自分より不幸な境遇の人のYouTubeでも眺めて
「私はこの人と同じで
私はこの人よりは少しまし」
と言って、自尊心を補いたい。

そんな思いが
額からだらだらと流れる汗に現れて
落ち着かない心の有様であるのに
その場から一つも動けないのです。


半身は熱で帯びて
半身はやけに冷ややか。
貧乏ゆすりをしているはずが
サンダルの裏は地面から
頑なに離れない。

そこでようやく気付きました。

私は行間に挟まれている、と。
もっといえば、文字。
文字と文字の間に挟まれてしまっている。
私はこのベンチに座って
本を開いて以来
ずっと
ずっと
ちゅうとはんぱという文字の間から
目線を動かせないでいたのです。





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