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推しと自我

この前「自分というものをしっかり持っていますか?」
みたいな質問をされたんよ。正直二つ返事で「はい!」って答えられると思ってた。好きな物は好きやし嫌いなもんは嫌いって割とはっきりしてるから。でも、いざこの質問をされた時めちゃくちゃどもった。

好きな物は誰になんて言われようと好き
果たしてそれを自我と言っていいのだろうか。

うちはめちゃくちゃ人の意見に左右されやすい。それはある意味「私と他人は違う。こんな意見もあるんだ。」って認めることを覚えたからもしれんねんけど、最近すごいこの「左右されやすい」の本質を考えるんよね。

例えば「推し」
うちめちゃくちゃ色んな人好きなんよね。
ジャニーズもインフルエンサーもバンドも芸人も
それは多分うちが色んなものに興味を持ってるからやねんけど、この「好き」という感情を自我の確立って言うていいんかな。
服買うにしても自分に似合う似合わないの前に「○○さんぽいな〜(推しとか友達とか)」から入って鏡で合わせて「うちでもいけんちゃう?憧れやったんよこういうの!!」で買う。大ちゃんの少年ぽい服装も、友保さんのいかつめな柄シャツも、梅野さんのトラックジャケットも、らいくんのキレイめ韓国ストリート系全部影響されてる。
音楽かってそう。Hey! Say! JUMPの楽しい曲も、CHAIに教えて貰った「かわいい」の新しい価値観も、レペゼンの夢を追いかけるかっこよさも、仁さんの感情を音にした切ない曲も全部全部。
しかもデレ期と冷め期が激しい、今はこれが好き!!の時期が周期的に私の頭の中を回ってる。

この「好き」という感情、
ただの優柔不断なんでしょうか?
それとも好きの一致なんでしょうか?
あるいは自分が言語化・映像化・具体化出来なかったものを投影してくれているからなんでしょうか?

私の中にあるまだ知られてない感覚が「推し」という存在のもと引き出されているのか、ただ私が影響されやすいだけなのか考えれば考えるほど分からんくなるけど「好き」という嘘偽りない感情だけはちゃんとある。
さぁ一体どれが本当の私なんでしょうね

これは適材適所っていうか家族といる時の私・友達といる時の私・仕事中の私、全部「私」という存在だよーんみたいな簡単な話じゃなくて感性と感覚と自我の確立のものすごく深いところにある自分の内面的な話やと思う。だから迷うんやろうな。

最後に
母にこの話をした時
「まだ20の若者が自我なんて確立できてるわけが無い」って言ってくれたことがものすごく救いだった。
まだ20年しか生きてないのに自分が何者かなんて分かる方が凄いと。ありがとう、めちゃくちゃスッキリしたわ。迷ってもいいんやって。

ゆっくり探して行こな、えみさん

とりあえずTwitterといいラジオといい曲といいネタの世界観といい、私が最近こんなことを感じるようになった原因に会いに行ってくるわ(推しを原因とか言うな)


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