話題の映画「怪物」を見て、私の中の「悪」に思いをはせた。
是枝裕和監督の映画「怪物」を見た。第76回カンヌ国際映画祭で脚本賞、クィア・パルム賞を受賞した作品だ。テレビドラマで多くのヒット作を生んだ坂元裕二が脚本を手がけ、音楽は坂本龍一が担当した。黒澤明の「羅生門」を思わせる多視点構造、子どものクィア性に関わる描写など、様々な所で話題になっている。私の心に強く焼きつけられたのは、誰もが心に「悪」を持っていること、だから「赦し」が大きな意味を持つということであった。
※以下、作品のネタバレを含みます
映画は、クリーニング店で働くシングルマザーの早織(安藤サクラ)、その息子の担任・保利(永山瑛太)、早織の息子の湊(黒川想矢)の視点で描かれる。ある日、早織は湊の言動におかしな点を感じ、学校に事情を聞きに行く。校長(田中裕子)たちに謝罪されたものの、心が感じられない。保利が湊に暴力をふるっていると思った早織は、彼を辞めさせようとする。
一方の保利は、身に覚えがないことを早織に指摘されて驚く。場をおさめるため謝罪するよう校長に言われて謝り、学校を辞める羽目になる。保利は湊が同級生の依里(柊木陽太)をいじめていると思い込んでいたが、あることがきっかけで、そうではないことを知る。
そして湊。
私がこの映画でリアリティを感じたのは、純粋で無力に見える子どもの「悪」がきちんと描かれていたことだ。
どことなく少女っぽい依里は、クラスでからかいやいじめにあっていた。湊は依里と過ごすのが楽しいのに、自分までターゲットにされるのが怖くて、彼をかばうことができない。さらに湊が嘘をついたことで保利は窮地に陥る。父親(中村獅童)に虐待される依里も、心に「悪」を隠し持っている。
湊は、自分の「悪」を自覚しており、校長に「嘘をついた」と告白する。
この後の、校長の台詞、2人があることをする場面が、私はとても好きだ。
安藤サクラ、永山瑛太、田中裕子、中村獅童という芸達者な俳優たちに「悪」と「正義」を見せつけられ、息苦しくなって途中退出を考えたが、この場面で一気に救われた気持ちになった。
他者を赦し、自分を赦すことの素晴らしさ。
田中裕子の表情の変化が、それを如実に物語る。
私の心の中にも「悪」はある。
そのことを自覚したのは50代になってからだ。
自分の「悪」に気づいていなかった時、私は他人の「悪」が許せなかった。それで色々な人を傷つけてきたように思う。
私の心にひそむ「怪物」。あなたを忘れずにいたい。