【東京】出張のついでに戸越銀座へ。天然黒湯温泉につかり、江戸っ子だった父を思い出す。
私は京都に住んでいるが、たまに東京まで「出稼ぎ」に出かける。ライターの仕事で取材や営業をするためである。猫がいるので、いつも日帰りだが、この日は戸越銀座の銭湯に寄って帰った。ブックカフェで故・杉浦日向子さんの『入浴の女王』を読み、無性に東京の銭湯に浸かりたくなったのだ。『入浴の女王』には「中の湯」として紹介されているが、現在は「戸越銀座温泉」という名前に変わっていた。
出発は五反田駅。本来なら、戸越銀座まで東急池上線に乗るのだが、方向音痴の私は池上線のホームがわからず、五反田駅からとっとこ歩いて戸越銀座に向かった。スマホを見ると1.5キロとある。20分ほどか。暑くて汗が噴き出す。碁盤の目のまちから出ない暮らしってのは、どうにもいけねえや。
戸越銀座は、関東で一番長い商店街だそうだ。全長1.3キロ。コロッケ、おかずの食べ歩き、シチューなど、心奪われるものがいっぱい。きゃ♡ビール飲みたい! だが、我が家には、「にゃあ」と喋る毛皮の住民2名が待っている。私が夜遅く帰宅すると、怒り、猫トイレにうんちをして砂ごと蹴り飛ばし、その辺に毛玉をはきちらかすであろう。エアコンで体が冷えきった後、歩いて汗だくになったことだし、とりあえず銭湯でのんびりしよう。
スマホの地図を頼りに商店街を歩き、「戸越銀座温泉」にたどり着いた。茶色ののれんに、白文字でシンプルに「ゆ」と書かれている。これこれ、このシンプルさこそ、「ザ・東京の銭湯」。京都の銭湯ののれんは、色々な絵が描かれている。東京の人にとっては当然のことでも、関西人の私は旅情をかきたてられる。入浴料は520円。サウナは入浴料込で900円。京都の銭湯が490円でサウナにも入れるのは、リーズナブルな値段といえるのだろう。
戸越銀座温泉は「天然黒湯温泉」だという。黒湯温泉とは、神奈川県周辺から東京湾岸にかけて出る温泉で、古生代に埋もれた草や木の葉の有機質成分フミン酸が地下水に溶け、黒い色になるのだそうだ。
1階の番台で料金を支払い、まず2階のお風呂へ。ここは黒湯ではなく、透明のお湯。シャワーで体を洗い、しばらく浴槽に浸かったら、いざ3階の黒湯温泉へ。
「黒湯」というから、墨汁のような黒を想像していたら、さにあらず。少し茶色がっていて、透明感がある。コーラのような黒、というのが一番近いかもしれない。江戸っ子は熱い湯が好きというけれど、ちょうど良い湯加減で、普段通っている銭湯に比べるとぬるく感じた。泉質もやわらかい。体がふにゃーとほどけていく。
体が芯から温まったのを感じ、湯からあがる。しまった! 下着の替えを忘れちゃった。
奇跡的にパンツの替えはあったので、履き替えた。ここで汗だくになった下着を着ると、一気に残念な気持ちになりそうだ。しばらく迷ったが、汗だくになったキャミブラとストッキングは、着用しないことにした。鏡を見ると、そう変な恰好にも見えない。年をとって胸が平たくなったと感じていたけど、たまには良いこともあるもんだ。
夕暮れの戸越銀座を歩く。風が気持ちいい。
ふと、東京生まれの父を思い出した。父は母と婚約していた時、母の実家でご飯を食べ、銭湯に行くことがよくあったそうだ。祖母(母の母)が父に、「洗濯してあげるから、汚れ物を置いて行ったら?」と言ったら、かたくなに拒否し、「パンツは番台のねえちゃんが欲しがったから、あげてしまいました」と言ったそうだ。母も祖母もあきれていた。
空襲で両親を失い、大学を出てサラリーマンになったものの、貧しかった父。古ぼけたパンツを婚約者やその母親に見られるのは、死んでも嫌だったのだろう。私にはわかる。
父は呼吸をするように嘘をつく男であった。